~ドジャースと言えば~
出野徹之(KTV)
昨年暮れの所属チーム決定から先日のトークショー、更には、スプリングキャンプと大谷フィーバー、ドジャース旋風はまだまだ続きそうです。昨年はWBCもあってメジャーリーグも随分、日本人の身近になって来ましたが、今から60年近く前にドジャースに日本人が在籍したこと、ご存知ですか?折角の機会なので是非知って頂きたいと思います。生原昭宏、通称、「アイク・イクハラ」です。去年、大谷のドジャース入団が決まった時、過去に在籍した日本人の名前が新聞に掲載され、その中に生原さんの名前があったのですが、正に「知る人ぞ知る」でしょう。私も久しぶりに彼の名前に接し亡くなった事を知りました。
1937(昭和12)年生まれ、早稲田大学、社会人チームで野球選手として活躍、亜細亜大学の監督としても実績を残しますが、野球を探求するため、1965年渡米、ドジャースのマイナーチームで用具係をしながらアメリカでの野球生活をスタート。その後ドジャースでメジャー組織と球団経営を学び、チームから信頼を得るとともに日本の多くの野球関係者に頼られる存在になります。1982年からはウォルター・オマリー会長の補佐(国際担当)になるのですが、私が生原さんと行動を共にしたのは1979年10月の約3週間、メジャーリーグのプレイオフとワールドシリーズ視察でLA、ボルティモア、ピッツバーグを回りました。フジテレビは当時、メジャーリーグの中継をしたり、メジャー情報を放送するためディレクター、アナウンサーを常駐させていました。解説は生原さんと巨人の投手として活躍したロス・アンジェルス在住の中上(藤本)英男さんが務めていました。私のメジャーリーグ視察は、ワールドシリーズ後に来日するオールスターの試合を西宮球場で中継するためのもの、解説の吉田義男さんとご一緒でした。生原さんは当時40才くらい、物腰の柔らかな“日系アメリカ人”と言っても良いような雰囲気、「いくはら」の姓とアイゼンハワー元大統領の愛称に因み「アイク」と呼ばれて多くの野球人に慕われました。巨人、中日のアメリカでのキャンプを実現させたり日米大学野球の開催などプロ・アマを問わず日米交流に尽力し2002年に野球殿堂入りしています。1980年、生原さんから、開幕ヒューストン・アストロズ戦のチケットと5月3日付けの手紙が届きました。この年はフジテレビの大リーグ中継がなくなったようで「楽しみにしていた解説の仕事がなくなりました。日本人がメジャー選手の名前を知らないこと、球団なり選手なりの“ごひいき”ができないと中々興味を持てません。この辺に問題があるようです」と書かれています。
あれから60年、日本中が「オータニフィーバー」で沸いている現状を見て“アイク”は、どんなに喜び、驚くでしょうね。