夕陽ヶ丘吟行記 ~放の会~

  
 六月五日、梅雨の合間をぬって、放の会の吟行が夕陽ヶ丘界隈で行われた。
私は俳句の仲間に入れていただいてまだ半年。吟行とは、遠くの鄙びた里に行き、花鳥風月を愛で句を詠むのだと思いこんでいた。それだけに都会の真ん中での吟行は、新鮮でもあり驚きでもあった。
地下鉄谷町線の夕陽丘天王寺の駅に集まった同人は八名。ボランティアの方のご案内でまず訪れたのは、駅の真向いの大阪星光学院 だ。ここはその昔、摂津名所図会に描かれ、芭蕉が何度も訪れた料亭の浮瀬亭の跡地だとか。芭蕉がこの世を去ったのは元禄七年十月だが、その僅か二週間前にここで開かれた句会にも出席し、「此道や行人なしに秋の暮」と詠んでいる。校庭の一隅には、それに因んでいくつかの句碑が建っている。吟行は、「授業中ですからお静かに」との学校側の注意をうけ、この句碑を見てまわることからスタートした。

浮瀬に集ひし句会走り梅雨         ともこ
訪れし浮瀬亭跡竹落葉           かもめ

 続いて「愛染さん」で知られる勝鬘院愛染堂、大江神社と近くの社寺をまわった後、訪ねたのは家隆塚だ。この塚は「新古今和歌集」の撰者のひとり藤原家隆が晩年隠棲して「夕陽庵」をむすんだ地で、夕陽ヶ丘の名はこの庵からついたといわれている。あたりは高台で、その昔はすぐ西側に海がせまっていた。そこに没する夕陽の美しさを、西方浄土を観想する思想と重ねあわせ、庵の名前にしたのだろう。そしてこの高台と海岸線を結ぶのが、織田作之助などにも愛された天王寺七坂だ。作之助は中でも特に口縄坂を好み、作品の中に「口縄坂はまことに蛇の如くくねくねと木々の間を縫うて登る古びた石段の坂である」と描いている。

木も古りて白き風吹く口縄坂        あきを
上町の台地の軒先簾障子          おさむ

 このあたりは太平寺、銀山寺など寺が多く、しっとりと落ち着いた雰囲気の一帯だ。しかしそのすぐ先にギンギンのラブホテルが出現するのに驚いた。このアンバランスが面白い。大阪最古を誇る難波の産土神、「いくたまさん」で知られる生国魂神社も、このラブホ前の路地を少し行った先にある。境内に入ってまず目をひいたのは、本殿前に色鮮やかに咲き競っている花菖蒲である。見事という他はない。また数ある境内社の中で特に興味をそそったのは、淀君が崇敬したと伝わる鴫野神社だ。ここには縁結びだけでなく、縁きりを願う女性の絵馬も奉納されていて、文面に思わず見入った。

歩いても立ちどまっても花菖蒲        いちろう
縁切りの心願絵馬や夏落葉
           みこ

 三時間近くも歩きまわったろうか。最後に訪ねたのは齢延寺だ。ここは志摩国領主稲垣家の菩提寺として四百年近く前に建立された名刹だが、ごく最近建て直しただけあって隅から隅まで絢爛豪華なしつらえを誇っており、和上の案内で大広間の畳がスイッチ一つで高く上がり,椅子状になるサマなども見せていただいた。藤澤東畡から藤澤桓夫にいたる藤澤一族や鍋井克之の墓もここにある。

上町にハイテク寺あり夏座敷          茂男
堂宇みなハイテクに変え若楓          周三

 吟行の締めは、齢延寺の一室を借りての句の披露と夕食である。午後いっぱいたっぷり歩いた身体には、ビールの美味しさが一段と身にしみた。ざれ言あり、笑いあり、しかも情感あふれる名句、迷句がとびかった「放の会」の吟行だった。
                           辻 一郎(MBS)

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