関西民放クラブの 理事として様々な同好会にも長くかかわってこられた 辻一郎さんが9月2日お亡くなりになりました。 享年92歳でした。謹んでご冥福をお祈りいたします。

辻 一郎さんを偲ぶ 武田 朋子(MBS)
私の周辺では何かの期日を決めるには、まず辻さんの予定を抑える、というのが鉄則でした。とにかく辻さんの手帳はいつも満杯。最後までぎっしり埋まっていたはずです。生来の明るく楽観的な性格と報道マンらしく何事に対しても好奇心を持って行動して人をひきつけました。その活力は現在に至るまで枯渇することなく、変わらず活躍されていたことは、手帳の混み具合が示しています。でも健康状態は必ずしも良好ではなく、幾度も入院・手術も受けておられましたが、その都度元気に復帰されていました。私は密かに“フェニックス一郎”と呼んでいました。今度も蘇ると信じていました。ご本人は{この世の移り変わりをもう少し見届けよう}と思っておられたようなのに残念です。
2004年4月関西民放クラブ総会で同時に理事に任命されたのが辻さんとの付き合いの始まりです。出身社は同じでしたが入社年度が少し離れていて、東京勤務が永かった辻さんとは在社中はほとんど接点がなくて、名前を知っている程度でした。 その後20年以上、同好会を通しての付き合いが続いていました。以下一緒に活動した同好会を挙げてみます。
「太平記を楽しむ会」・「太平記を読む会」・「漱石を読む会」・「メデイアウオッチング」
2014~15年にかけては民間放送OB・OG 51名からの放送の現場体験の聞き取りをまとめた670頁の本「民間放送のかがやいていたころ」を上梓しました。「俳句同好会 放の会」では、亡くなる1か月前、昨年8月5日の句会に、いつものように出席されていました。ランチは中華料理店で天津飯を完食。「これから病院に行く」と言っておられ、ビルのエレベーター前で別れたのが最後です。
流れ星一瞬を往く旅路かな いちろう
今頃は流星に乗って未踏の宇宙を旅しているのかしら。 合掌