男女ノ川
もうすぐ秋場所が始まります。両横綱が真価を問われる場所になりそうですね。私が初めて本物のお相撲さんを見たのは小学校2年生、昭和27年と記憶しています。我々4兄弟は母に連れられて東京の三鷹市下連雀に住んでいました。次兄の学業成績が良く、岡山の片田舎の中学から東京の高校に進む事になったため一家を挙げて母の姉の家に仮住まいしていました。私は三鷹第三小学校に通っていましたが、当時は複式授業で午前の登校だと給食にコッペパンがもらえるので楽しみでした。飲み物は番茶でしたが。ある日、家のすぐ脇を通る道路で遊んでいると浴衣姿で自転車にうち跨り、背が高いものですからO脚になって漕いでいる、ちょんまげの男性がやってきました。戦後7年ほど、まだ自動車の通りも少ないのでやたらと目立ちます。普通の自転車ですが大男なので子供自転車みたいに見えます。一緒に遊んでいた子供たちが「男女ノ川(みなのがわ)だ!男女ノ川だ!」とはやしたてる中、砂利道を悠然と走り去っていきました。いま調べてみると193センチあったそうですからビックリするのも当たり前ですね。「動く仁王様」と愛称された第34代横綱でした。強烈な印象が今でも残っています。
鏡里
小学校の時、夢中になっていたのが鏡里、今考えると何故だかよく判りませんが、「相撲」などという雑誌を買ってもらって、ラジオに耳をつけて聴いていました。挙句の果てに、自己流の星取表を作り、相撲雑誌から見つけた部屋にファンレターまで送りました。当時は「太鼓腹」という表現がありましたが、鏡里は正に綺麗な太鼓腹、うれしい事に「お返事」が来ました。葉書大に横綱鏡里の立ち姿の写真がありサインがしてあります。大喜びで、学校で友人に見せて自慢したのを憶えています。長い間勉強机の引き出しにありました。
チョット脆かった吉葉山、突っ張りの千代の山、長身の(202センチだったそうです)大内山、内掛けが得意な琴が浜などというバラエティに富んだ力士が居て面白かった時代です。
横綱になりそうな大関を応援する癖があります。稀勢の里はヤキモキしながらも長い間テレビで声援を送っていましたし、朝乃山は希望の星だったのですがねぇ。今は稀勢の里の愛弟子、大の里を応援しています。一強時代到来かと思ったのですが、横綱になってからどうもハッキリしません。今場所、テレビのこちら側から気合を送りながら見る事にしましょう。 出野 徹之(関西テレビ)