新年度初の例会を4月2日(水曜)、20人が参加して楽しみました。午前10時、JR明石駅でボランティアガイドさん2人と合流、駅のすぐ北側に広がる県立明石公園へ。お目当ては案内状に大書した「満開のサクラ」でしたが、3月下旬からの寒波の戻りで、同公園の標準木は、ようやく咲き始めたところ。当初計画にあった県下有数のサクラの名所、剛の池の自由散策をカットし、明石の歴史勉強に的を絞って午前中は広い公園内をゆっくり散策しました。
公園の入り口に立つ銅像は現マルハニチロ(元大洋漁業)創業者、中部幾次郎。明石出身の実業家です。著名アマチュアゴルファーの中部銀次郎はその孫。公園内の明石球場は、読売巨人軍の春のキャンプ場でした。野球で芽がでなかったジャイアント馬場は、明石出身の奥さんと結婚、阪神淡路大震災を悼む、自分の身長(2m8cm)の高さの立派な碑を公園内に残していました。男性ガイドは漁業やスポーツと縁の深い街の由来を楽しそうに語りました。
江戸初期建設の明石城は、明治維新後に取り壊され、2つの櫓が残るのみ。建設時には宮本武蔵が、藩主小笠原家の客分として迎えられ、明石の町割りを担当、作庭にも才能を発揮したとかで、当時を再現した庭園も残されていました。印象的な城壁の前で全員の記念写真。
櫓への長い石段を頑張って上がり、明石の街を眺めわたしたあと、特別に公開していただいた坤櫓の内部も見学しました。
朝から曇天、肌寒い風が吹くなか、皆さん、ゆっくりと歩いて公園見物を約1時間半。お昼時となったので、昼食会場の菊水鮓(明治30年創業)に向かいました。
地元の穴子やタイを使った寿司を一皿に並べた上盛り合わせに赤だし付き、3200円。志風代表が、「新年度の例会は、郵送料金の大幅値上げなどもあり年4回と、前年より2回減らしますが、年会費を据え置き、充実した企画を心掛けます」とあいさつし、ビールや冷酒も入って和気あいあいと約1時間半。食後は、明石天文科学館でプラネタリウムを見学する組と、魚の棚商店街を散策する組に分かれ、明石の魅力をたっぷり味わいました。
次回の第205回例会は、5月29日(木曜)、奈良県の宇陀松山で「伊勢街道の商家群と薬草料理を楽しむ」と題して実施します。近鉄榛原駅、午前10時集合。多くの皆さんのご参加をお待ちしています。(文責 田仲和彦)