追悼 元阪神タイガース監督、吉田義男さんが亡くなられました。

追悼 吉田義男さん
元阪神タイガース監督、吉田義男さんが亡くなられました。今年も年賀状を頂
いたばかりなので4日夕方のNHK大阪のニュースに驚き、思わずテレビの前に
駆け寄りました。

現役時代、プロ野球中継や、当時大人気の「プロ野球ニュース」で、西本幸雄
さん、米田哲也さんらとともに野球シーズンには毎日のように球場で取材、ス
タジオで放送という生活をともにしました。私にとって特に忘れがたいのは
、1979年メジャーリーグ視察で3週間、アメリカ各地をご一緒した事です
。その年のシーズンオフにメジャーリーグのオールスターが来日、西宮球場や後
楽園球場で日本のオールスターチームと試合をする事になりました。

「中継を担当させるから視察に行ってこい」と命じられ、解説の吉田さん、デ
ィレクターとともにプレイオフからワールドシリーズまでの10試合ほどを取
材に行ったのです。

以前、「徒然なるままに・アイク生原」でも紹介しましたが、当時フジテレビ
はアナウンサー、ディレクターをシーズン中常駐させ時折、中継したりプロ野
球ニュースで放送したりしていました。私達はフジテレビクルーに同行する形
で各地を回りました。先ずニューヨークに入り、アメリカン、ナショナル両リ
ーグのプレイオフの状況を見た後、アナハイムでエンジェルスのプレイオフを
観戦、その後、ボルティモアとピッツバーグを行き来するワールドシリーズを
7試合取材する事になりました。

フジテレビのクルー、藤本(中上)英雄さん、アイク生原さんたちと約3週間
、移動する中で、ある夕食の時だったと思います。吉田さんが私に「出野さん
は、海外でも十分生活して行けまっせ」と、ふっと言われました。その時は「
そうですかねぇ」と特に深く考える事も無く答えたのですが、何をもってそう
言われたのか、今にして思うとちゃんと伺っておけばよかったと後悔していま
す。

後に、この言葉を時々思い出しては、ボルティモアの球場でスタンド観戦をし
ている時、地元のお爺さんと孫の二人連れと片言の英語で仲良くなったり、ハ
ンバーガーショップでのやり取りなど気負いなく生活しているのを見ておられ
たのかな、と想像したりしていました。

15年後、私は社命を受けて、海外特派員としてシンガポールに赴任しました
。語学学校で英語、中国語を受講しての着任でしたが、結構スムーズに現地に溶
け込み、特に大きな違和感を覚えない日常が始まった時、アメリカ取材中に吉
田さんが言われたのは、この事だったのかな?と改めて思いだしました。

「海外でも十分生活していけまっせ」、お陰様で楽しく5年間の東南アジア
生活を送り、帰国後も様々な道が開けて今日があります。今、吉田さんには、そ
んな風に報告したいと思っています。
心からご冥福をお祈り致します。

KTV出野徹之

TOP