私の伯母さん、母の姉・文子は今年の7月に満97才になりました。その年齢だけなら日本にン十万人いると思いますが、彼女のユニークなのは、「アメリカ生れ」であることと、「7才で小児麻痺に罹って一生立って歩けなかった」ことです。こんな百才は滅多にいません。
私の母方の両親は明治時代に愛知県の三河地方、蒲郡(がまごおり)と云う海辺の田舎町に生まれましたが、祖父が青雲の志を抱いて、大正時代に密入国同然にカリフォルニアに渡りました。当地でライス・キングを目指したものの、祖父は虫垂炎で三十代で急逝。五人の子供とお腹の中の赤ちゃんを連れて祖母は太平洋を逆戻り。その胎児が私の母で、三つ上の文子伯母さんまでの五人がアメリカ生れ。それぞれ日米の名前を持ち、伯母は「アリス」と呼ばれていました。まだ昭和の初年、しかも田舎です。一家は好奇の目で周囲から「亜米利加(あめりか)さん」と云われました。
太平洋戦争が始まった日、長男はアメリカに帰っており日本大使館で働いていました。そして米軍の語学兵に志願します。逆に次男は軍国少年から憲兵になって戦火の中国大陸へ。戦後は兄弟仲良く、三河にもやってきた進駐軍の対応に追われたとか。
もう一つの病気に関しては、ある日突然ポリオと云う病魔に襲われ命は助かったものの、足が麻痺して立てなくなったのです。7才の少女には過酷な運命でしたが、我らがアリスは負けません。母や兄弟姉妹の励ましや協力で戦中・戦後を乗り切ります。三河地震も伊勢湾台風も新型コロナも何のその、東京五輪や大阪万博を楽しみ、兄弟の中で「あの子は絶対最初に死ぬ。長くは生きられまい」と云う予想をあっさり裏切ってあと一年半で数えの百才。兄弟姉妹でただ一人生き残り「人生百年時代」を身をもって示しています。
現在は松葉杖から車椅子に変わって、故郷の老人ホームで静かに暮らしています。二度目の東京オリンピックを楽しんだ後は、来年・再びの大阪万博を見てやろうと体力増強に努める日々。ほんと、生き残った昭和ひとケタ生れはしぶといですね。高齢者の私も「三河の国のアリス」を見習わねばいけません。
鈴木優(KTV)