先日の新聞で、2月に行われたインドネシアの大統領選挙の記事を読みました。ジョコ大統領の後任選びなのですが、併せてジャカルタでは大統領選挙以外に国会議員や州議会議員選挙もあり、投票所で働いた171人が過労で死亡したり、1万5千人以上が体調不良を訴えたりしているとの記事でした。
インドネシアの選挙では、投票案内の配送から票の集計まで選挙管理委員会の募集に応じた市民が行うのだそうです。「投票用紙に印刷された政党や候補者の個所にクギで穴を開け、それを読み上げて別の人が集計用紙に記入する、これを繰り返し数が合わなければやり直す」というくだりを読んではっとしました。
私が1992年6月に取材した時と全く同じなのです。取材ノートを見ると当時のコーディネーターは「字の書けない人が多いので党のシンボルマークに穴を開けて投票する」と言っていましたが、新聞によるともっと、ちゃんとした理由があるようです。
スカルノ大統領時代、与党のゴルカルに投票せざるを得ない仕組みを政権の基盤としていたそうで、こうした過去の教訓から「選挙の公平を保つため市民が票を数えるようになった」のだとか。「この仕組みがインドネシアの民主主義を支えている」と記事にはありました。実は、インドネシア取材の丁度一か月前の92年5月9日から一週間、フィリピンの総選挙取材の応援に行きました。投票所では40センチはあろうかという細長い用紙に大統領から市会議員に至るまで数十人の名前を書くのですが、開票は投票用紙を機械にかけて自動的に判別します。その直後だけに、投票用紙にクギで穴を開けるなんて、と当時は思ったのですが、今回の記事を読んで、「私たち日本人には命をかけてまで、国民の手で民主主義を守る」という意識をもって投票しているだろうか、思わず自問させられるインドネシアリポートでした。
出野徹之(KTV)