3年前の軍事クーデターとその後も続く内戦で日本からの観光客が訪れなくなる中、第二次大戦で犠牲になった日本兵の慰霊碑を守り続けるミヤンマーの人々の記事を読みました。かつて現地取材をした者として現状は大変気になるところです。1994年に撮影した一枚の写真、ミヤンマーの首都(当時)ヤンゴンのストランドホテルで竪琴を奏でるミヤンマー女性です。正式には「サウン・ガウ」と言うのだそうですが、私は大昔(?)観た映画「ビルマの竪琴」で安井昌二扮する、水島上等兵が持つ竪琴を思いだしました。
ミヤンマーに行ったのは、シンガポール支局勤務の中で企画した「海外日本人学校」シリーズで、ヤンゴン日本人学校を取材するためでした。当時は今と同じように軍政下にあり、民主化の主導者、アウンサン・スーチーさんは自宅に“幽閉”されていました。その後、民主化勢力が政権を奪還するのですが、3年前の国軍によるクーデターでスーチーさんは再び“拘束”されたままです。国軍も各地で苦戦が続き、政権を取ったものの手詰まりになった感があります。
ヤンゴン日本人学校取材にあたっては現地コーディネーターが必要という事でフジテレビ・バンコク支局からニュン・ティンという中年の男性を紹介してもらいました。ビザが下りてヤンゴン入りしたのですが、空港に着くや否や政府の建物に連れて行かれました。取材について審査があると言うのです。ニュン・ティン氏を通じて目的などの書類は送ってあったのですが「口頭試問」があるのです。民俗衣装、ロンジーをまとった7~8人の男性が会議室の奥に陣取り、我々3人のシンガポール組は向かい側、改めて「ヤンゴン日本人学校」を取材する目的を問われました。どうやらスーチーさんら民主化勢力を取材する“政治的意図”が無い事を確認する目的があったと思われます。
形ばかりの審査ではありましたが無事終了。街に出るとヤンゴンは静かで清潔な印象でした。ゴミが落ちていない、気持ちの良い道路を走り町はずれの住宅街にある日本自学校を訪ねました。バンコクに次いでアジアで2番目に古い日本人学校だといいます。日本人の母親を持つ女子生徒をモデルに、現地通貨“チャット”を使って生徒たちが市場で買い物をする授業など、ミヤンマーならではの楽しい取材ができました。宿泊のストランドホテルは改装なったばかりの第一級ホテル、玄関を入ると写真の女性が竪琴で「ウエルカム演奏」を聴かせてくれます。軍政下にありながらも、未だ落ち着いていたミヤンマー、あの静けさを一日も早く取り戻して欲しいと願ってやみません。
出野徹之(KTV)