中島GANGは死なず⁉

 「日本映画の黄金期に傑作を撮り、平成は勿論、令和になっても新作を発表する日本映画界のレジェンド監督は、東の山田洋次、西の中島貞夫、この二人しかいない」

 私たち「中島GANG」はいつもそう吹聴しています。その中島監督が米寿で亡くなったのは昨年の6月。暫く私たちは茫然自失の状態でしたが、哀しみが癒える間もなく、まずは生前の関係者で「偲ぶ会」のようなものが出来ないかと模索しました。最初は身内だけのこじんまりしたお別れ会のつもりでしたが、あの人も呼ばねば、この人は外せない、とやっているうちに会場のキャパも必要になり、時間もかかって、結局2月下旬に京都の都ホテルでの開催に至りました。ここまで話が大きくなると発起人が必要になります。人選に苦労して映画界だけでなく行政・大学・文化人・マスコミ幹部と多士済々の顔触れに。ダメ元でお願いした中島監督の大学時代からの盟友、倉本聰さんからは北の国からこんなメッセージも届きました。

 「中島貞夫が旅立ちました 限りなくやさしいでかい男でした 映画を愛し、京都を愛し、熱く人間を愛した一生でした 彼と交流のあった皆さんと、最後の一献をかかげたいと思います」

 この文章を手にした時の私たちの感動は今も忘れられません。開催までのトラブルや苦労も一挙に吹き飛び真冬の本番へ一直線。この案内状に誘われて総勢170名の盛大なパーティーに漕ぎ付けました。冒頭の挨拶は多忙の中わざわざ東京から駆け付けてくれた女優の富司純子さん。昭和の東映京都が最も輝いていた頃の思い出に参加者もホロリ。献杯の後、皆が次々と監督とのエピソードを語り、何のアトラクションもない「偲ぶ会」はあっと云う間に2時間が経過しました。

 実は中島監督はテレビドラマの脚本や演出も多く、私の古巣・関西テレビも時代劇やサスペンスで大変お世話になっています。今後も中島監督の遺志を受け継ぎ、京都の、日本の映画やテレビを後世に伝え、世界に発信することを改めて肝に銘じた一日でした。

 鈴木 優(KTV)

 

 

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