マエストロ・外山雄三氏逝去
関西テレビ 出野徹之
この方こそ、レジェンドの名に相応しい指揮者だったのではないでしょうか。指揮者で作曲家の外山雄三さんが亡くなられました。私は2002年から7年間、日本(大阪)センチュリー交響楽団で事務局長を務めましたが、その間、何度かご一緒する機会がありました。ある合唱団の「第九」をセンチュリーと演奏したいとお仕事を持って来て下さったと記憶しています。当時の楽団長から“偉い人だ”、“厳しい方だ”という事を聞いていましたので、多少の緊張を持ってお迎えしました。初めてお会いした時、両手を膝の前にきちんと揃えてお辞儀をされました。そのようなお辞儀をする人にお目にかかった事がありませんでしたので、とても印象深く覚えています。もうひとつ驚いた事がありました。
音楽家・外山雄三さんの、多分、余り知られていない一面をご紹介したいと思います。
オーケストラの練習が終わったある日、奥様ともども食事をご一緒しました。音楽を離れると、にこやかな豊かな人柄がにじみ出る70代でした。千里近辺でタケノコ料理が有名なお店でした。楽団長らとの音楽談義を伺っていると、奥様が「この人は言葉遣いにとってもうるさくて、テレビのニュースなんか見ながら“その言い方は変だろう”と文句を言ってるんですよ」と普段のマエストロの話をされました。「実は私も同じようにテレビに向かって文句を言っています」とお話して、乱れた日本語談義で大いに盛り上がりました。ご自分でも言葉遣いがとても適格、綺麗で、音楽のみならず、幅広い知識、常識を身に着けた教養人という印象でした。私が、アナウンサー、報道記者時代を通して、“間違った言い方、気になるニュース言葉”などを長い間ノートに書き留めている話をしたところ、外山さんが「是非、そのコピーを下さい」とおっしゃるのです。自分の心覚えのノートでしたので、早速ワードで書き直してお送りしました。コピーをご覧になりながら「ふむふむ、、」なんてテレビを見て居られたのかなと、ちょっと誇らしくも思います。
正に、日本のクラシック音楽界を長きに亘ってけん引して来られた92才、まだまだ“音楽”をおやりになりたかったでしょうね。心からご冥福をお祈りします。
関西テレビ 出野徹之