チンチン電車と合唱の思い出
伊藤 妙子(KTV)
私は中学時代に合唱に目覚めました。音楽教師が熱烈教師で、放課後、毎日、歌っていました。傍の人の声を聴きながら、自分の声を合わせる、夢のような美しい和音が合唱の魅力です。合唱コンクールを次々制覇しました。子供の声と大人の声が混じる、ウイーン少年合唱団のようでした。
或る夏、天王寺からチンチン電車に乗って浜寺に行き、一団は海水浴に出かけたのです。アメリカ駐留軍の家が公園を奪っていました。離れた砂浜で海水浴をしての帰り、始発駅から私たち以外に乗客はいません。電車の中の半分を占めて,ひとりでに車内で合唱を始めました。電車には乗客が増えて来まして、私たちは乗客に席を譲ろうとしたのですが、逆に、乗客からもっと続けて歌って頂戴の声がかかりまして、天王寺の終点まで、子供たちの合唱団は歌い続けました。半分の席に子供たちが座り、もう半分お席に乗客が座り、殆どが立ちっぱなしで、拍手を送り続けていました。まるで、歌う電車旅でした。先生も立っている乗客にお座りくださいと、声かけされましたが、乗客は半分の席と、立ちっぱなしのまま、歌声を聞いて下さったのです。
7/2、合唱で歌う友人が、阿倍野公民館で発表会をしたので、天王寺からたった一つの停留所まで、懐かしいチンチン電車に乗って見たくなりました。勿論、充分楽しめる立派なコミュニテイ型の「父さん母さんコーラス」でしたが、帰りにもチンチン電車に一停留所分を乗って帰りました。我ながら、地下鉄なら直ぐ帰れますが、わざわざ郷愁に駆られて、子供の頃の素晴らしい合唱団に思いを重ねました。
私には音楽は生涯の愉しみです。音楽家は貧しくても音楽を捨てることができません。麻薬に取りつかれたごとく、心に太陽、唇に歌 を実践しています。7/3も今度は民放カラオケで歌いまくってきました。あらツ、7/4もオペラ教室で練習して来ました。下手のオペラ横好き7年目、オメデタイ妙子。