徒然なるままに ~“らんまん”の陰で~
懐かしい言葉の響きが毎朝、テレビから聞こえてきます。高知出身の植物学者、牧野富太郎博士のお話「らんまん」。
4年ほど駐在したシンガポールは“海外の”第二の故郷ですが、“国内”では土佐の高知が第二の故郷です。何せ毎年2月になると2週間から、長い年には3週間滞在する生活を約20年送ったのですから。プロ野球担当になって初めてのキャンプ取材は、高知市営球場での阪急ブレーブス。JR高知駅近くの旅館に、2人の先輩アナウンサー、スポーツ部のディレクター3人と合宿のような生活でスタートしました。
その頃、高知県では、阪急の他、南海ホークスが大方、近鉄バファローズが宿毛、阪神タイガースが安芸でそれぞれキャンプを張っていました。「キャンプを張る」と言ってましたね。
当時、阪急は西本監督。新人の私は特にする事も無く、ただ先輩方にくっついて何が行われているのか、何を見れば良いのかを必死で見て歩きました。
米田、足立、梶本などという投手が主力、山田久志は「これからノシていく」選手だったような気がします。
20年も通うと「~き」「~ちゅう、ちゅう」という高知弁のニュアンスも、ごく当たり前に聞こえてくるようになりました。
時は過ぎて、駅前旅館から球場近くの「ホテル松竹」に一人で泊まる生活になりました。どうしても体がなまるので毎早朝、ランニングをしていると、ウォーキング中の上田監督とよく会いました。ベンチで談笑の時、「出野さん、毎朝走ってんの?担当記者にはそんな殊勝なヤツおらんでぇ」と笑い話のタネになりました。
更に何年か経つと、街の中心部「ワシントンホテル」に泊まれる身分(笑)になり、馴染みのスナックが出来、地元の友人も出来ます。それでなくても女性もお酒が強い土地柄で、「カウンターの向こうに立って一人前」なんて言うのです。詰まり、お客として飲むだけじゃなくてスナックのカウンターの内側で修行するのは当たり前なんだそうです。参りますよね。
ホテル隣のスナックのママさんの高知弁は歯切れがよく、今でも耳に残っています。「この話はみんな知っちゅうき(知ってるから)、ほら!」「明日の朝、行くがやき(行くから)」、地元の友人「おまん(お前)、最近何しちゅう?」
西武ライオンズが誕生するのが1978年、高知県春野でキャンプを張るようになると担当は東京フジテレビ、旧知のアナウンサー、ディレクター仲間がやってきてキャンプ休日前になると解説者ともども高知市街に繰り出してきます。思いがけず旧交を温めたりしました。
1980年頃には5球団がキャンプを張っていた高知県は、その後、宮崎、沖縄に次々とキャンプ地を奪われて行きます。施設面、地元行政の待遇など様々な要因があるようですが、長い間ご無沙汰している“第二の故郷”、静かな街に戻ってしまったのだろうな、と「らんまん」を見ながら感慨にふける“徒然の”日々です。
出野徹之(KTV)