恩田雅和会員が「落語×文学」を出版
辻 一郎(MBS)
関西民放クラブ理事の恩田雅和(和歌山放送)さんが、このほど異色の本を上梓した。
「落語×文学」~作家寄席集め~である。ここで著者は、坪内逍遥にはじまり、森鴎外、夏目漱石、幸田露伴、永井荷風、芥川龍之介、志賀直哉などから瀬戸内寂聴、西村賢太にいたる作家80人余をとりあげ、彼らが落語とどのようにかかわり、それが作品にどう反映しているかを考察した。
例えば二葉亭四迷が坪内逍遥の名前で作品を書くことになったとき、どんな文体で書くかで悩んだ。それを見た逍遥が「君は三遊亭円朝の落語を知っているだろう。あの円朝の落語通りに書いたらどうかね」と助言し、日本初の言文一致体小説「浮雲」に結びついたことはよく知られている話である。
だが本著はそれだけにとどまらず、その70年後、藤沢恒夫が、「この頃は下手な小説家が多くなってきた」と嘆いたあげく、「春団治のレコードを、何か一つでもよい、暗唱できるくらい掛けてみたら、もう少し上手な小っ節を書けるようになる」と述べたことや、さらにその50年後、芥川賞作家の西村賢太が「僕は文芸作品よりも現代落語を書いているという気持ちが強い」と言っていることなどを紹介し、この120年の間に、小説の文体とリズムについて、3人の作家がよく似た発言をしたことを教えてくれる。
また永井荷風は作家になる前、朝寝坊夢楽という落語家の弟子になり、夢之助と名乗って前座をつとめた。おかげで終生、落語家に尊敬の念をいだくことになり、後年、三越が文芸家遺品展を開催した折り、泉鏡花が「尾崎紅葉の物が円朝のものと一緒に並ぶのは困る」とクレームをつけたときには、「(泉鏡花は)先師紅葉山人の遺品は落語家のものとは同列には陳列しがたしとして出品を拒絶せしと云う。鏡花氏の偏狭寧笑ふべし」と批判した。だがその鏡花も、明治43年には、寄席と落語を舞台にした長編小説を書いていることを本書はとりあげている。
著者は「あとがきー落語と文学」で、学生時代、結核を患って長く病床につくことになり、そこで聞いたラジオで落語にはまりこみ、退院後も熱心に寄席に通い、落語をテーマに卒論を書いたことを明かしている。和歌山放送退職後、天満天神繁盛亭の支配人に招かれた遠因もここにある。
本著はこのように落語に深い愛情をいだく著者が、これまで貯めこんできた落語と文学についての薀蓄を一挙に放出して記した書であり、落語への深い思いを伝えるラブレターでもある。面白いのは当然だろう。