徒然なるままに マハティール元首相とサイドカー
いよいよ本格的なマラソンシーズン、毎週のようにテレビ中継があります。
リポーターやカメラマンの乗るサイドカーはつきものですが、先月マレーシアの総選挙の記事を読みながら久しぶりに思いだした事があります。
私がシンガポール支局で特派員生活を送ったのは1991年8月から1995年4月まで。当時、シンガポールは建国の父リー・クアンユー氏が上級相としてまだ健在、インドネシアのスハルト大統領、マレーシア、マハティール首相とともに国の顔としてリーダーシップを発揮していました。
私は、様々な取材でマレーシア、インドネシアにはよく出かけたのですが、日本人にとって断食(ハリラヤ)という習慣は珍しいのでブルネイも含めたリポートを何本か作りました。
マレーシアの断食明けではイスタナ(首相府)のオープンハウスがあり、首相夫妻にお目にかかることが出来ます。1995年3月2日クアラルンプールの小高い丘の上にある首相官邸を訪ねて先ず入場待ちの長い行列を撮影しました。「何故かマレー系の人より中国系の人が多い」と当時の取材ノートにあります。
イントロダクションのリポートを撮ったあと、マレーシアの国民より先にチャッカリ、私が首相と夫人に握手をして頂きました。「夫人はとても優しそうで感じの良いファーストレディー」と、これも取材ノートから。
時は下って1996年2月、関西テレビ本社に戻って国際関係の仕事をしている頃、フジテレビ日曜の報道番組で、たまたま大阪を訪問中のマハティール首相(当時)に出演して頂く事になりました。関西テレビのスタジオを使う事になり、私がセッティング、アテンドをしました。総領事館と連絡を取り合い、社長、報道担当役員、報道局長にも日曜出勤を願って当日を迎えました。
ホテル出発から大阪府警の先導がつき、扇町の我が社へ向かいます。社長以下、居並んでお迎えし、地下駐車場からマスターコントロールルーム(主調整室)など珍しいだろうと思われる局内を案内し、最後に中継車などを見て頂きました。
関西テレビは毎年1月の最終日曜日、大阪国際女子マラソンを中継しています。例年ですと中継が終わるとレンタカー会社に返却するサイドカーを残しておいたのです。と言うのも、マハティールさんの故郷、ランカウイ島には“マハティール博物館”のような建物があって世界各国で集めた品々が飾ってあり、中には珍しい自動車まで展示してあって、マハティールさんはモータリゼーションがお好きなのを知っていたからです。
案の定、サイドカーを御覧に入れると大喜びで、運転席に跨ったり、サイドカーに乗ったりして楽しんでおられました。
報道番組の生出演も無事に終わった数日後、当時大阪にあった総領事館から電話がかかってきました。「サイドカーを手に入れるにはどうすれば良いか?」というのです。レンタカー会社を伝えたのですが、恐らくランカウイ島の博物館にまたひとつ、展示物が増えた事でしょう。
11月のマレーシア総選挙では地元ランカウイ島から97才で立候補したマハティールさんがついに落選、20年以上にわたって首相を務め、アジアで最も名前の知られた政治家の一人でしたが、これを機に政界を引退するようです。
東南アジアの大きな歴史がまたひとつ幕を閉じるような印象があります。
老後は故郷ランカウイ島の博物館で、サイドカーなど見ながら関西テレビを思い出して頂けると良いな、、、、と。
関西テレビ 出野徹之