徒然なるままに  フィリピン・ラモス元大統領死去

 

徒然なるままに  フィリピン・ラモス元大統領死去

 フィリピンのフィデル・ラモス元大統領が7月31日に亡くなったという報道がありました。1986年マルコス元大統領の独裁政治に反対して軍人と決起、「ピープルズパワー革命」の立役者になった人です。その後、コラソン・アキノ政権では国防相などを歴任しました。94才でした。

 皆さんにはあまり馴染みのない人かと思いますが、私にとってはシンガポール支局から出張した最初で最後のフィリピン取材、様々な思い出のある人物です。少しお付き合い下さい。日本でも人気のあったコラソン・アキノ氏の後を受けて大統領選挙が行われたのは1992年5月、私がシンガポールに赴任した翌年の事、マニラ支局のT支局長から応援を頼まれ、5月9日、初めてフィリピンに向かいました。カメラマンを連れてきて欲しいという要望でしたので信頼のおける、ゴードンとともに行ったのですが二人とも初めての国、おまけにT支局長からは事前に「迎えの車を出すから空港では絶対にタクシーに乗らないように、こちらのタクシーは皆、ダッシュボードに拳銃積んでいるから」と脅かされていたので、とにかく迎えのジープを必死で探したのを覚えています。日本でも話題になった選挙なので東京から夕方ニュースのキャスター安藤優子さんを始め大勢のスタッフが来ていて支局はごった返しています。

 この年の“総選挙”は、大統領から地方の市議会議員までを一挙に選ぶ、日本では考えられない、正にスーパー同時選挙です。私はアナウンサーの経験を買われて、もっぱら昼間、夕方のニュースの生中継にあたりました。また候補者の事務所や独自に票の集計をするMCQCと呼ばれるNGOの事務局などを取材するためマニラの街中をあちこち車で走りましたが、ある時、急遽支局に戻る事になりました。ドライバーは日本で警察車両がつけている“赤灯”を取り出すや、車の屋根にポンとつけて歩道を走りだします。何事にも規律正しいシンガポールから来た我々、特にゴードンカメラマンは“おったまげ”て「ワーっ!」と大声を上げています。「シンガポールじゃ考えられない、凄い、凄い。帰ったら皆に話してやろう!」と大はしゃぎ。フィリピンではメディアには許されている、かどうかは聞き洩らしましたが。

 大統領選挙には、アキノ氏の指名を受けたフィデル・ラモス、大富豪のコファンコ、女性のサンチャゴの3人が立候補、一時はサンチャゴ氏がリードする大接戦となりました。私は市内のラモン・マグサイサイ高校の投票所で昼ニュースの生中継を担当しました。何せ大統領、国会議員、市会議員など70数人を選ぶので、各陣営はあらかじめ、自陣の候補者を印刷した投票用紙の見本を作って投票所近くで配ります。長さ約50センチの細長い紙です。信じられない事に、それを持って投票に来る人も居て、流石に「それはいかんだろう」と禁止になりましたが、「何が禁止になったか」というと投票所から何百メートル以内で見本を配る事が「禁止」になった、とのこと。お国柄か、と妙に納得したのを覚えています。

 「拳銃を持った男たちが投票箱を奪って逃げた」、とか「今回は人命に関わる事件が想像以上に少ない」とか、この国ならではの様々な話題を支局から提供されながら生中継をこなし、約1週間に及ぶ、初めてのフィリピン選挙応援取材が終わりました。

 ご存知でしょうか?フィリピンには7000を超える島があります。長い長い投票用紙の集計に時間がかかります。コンピューターなどまだ無い時代、ラモス氏が大統領に就任したのは投票から約一か月後の1992年6月のことでした。

関西テレビ 出野徹之

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