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私の「想い出の一曲」 炭坑節 イン マレーシア
♪つきが~でたでた~、つきが~でたぁ、よいよい♪
三波春夫の明るい歌声が南国の夜空に溶け込んでいきます。ここはマレーシアの首都、クアラルンプール。市内のトゥン・ラザクスタジアムで日本人会主催の恒例「盆踊り大会」が行われているのです。普段はホッケー場なのですが、この日ばかりは日本人とマレーシア人が一緒になって盆踊りを楽しんでいます。炭坑節と言えば盆踊りにはつきもの、私の想い出は中学校の運動会につながります。私が育った田舎、岡山県児島市(現倉敷市)味野中学では、秋の運動会には全校生徒が浴衣姿で炭坑節だの下津井音頭(地元の民謡)だのを踊る事になっていたので「押して、押して、また引いて、、、、」という炭坑節の振り付けは忘れられないワンシーンとして頭に残っているのですが、まさかマレーシアで炭坑節に出会うとは。
1991年9月、シンガポール特派員として着任以来、初めての海外取材として隣国マレーシアを選びました。これに先がけてマレーシア日本人会のミッションが盆踊りのPRと取材依頼のため、シンガポールに駐在している日本の特派員を訪れたので、「これは面白そう」と日本に企画を送っていたのです。
1970年代半ばに、マレーシア日本人小学校の校庭でささやかに始まった盆踊り、地元マレーシア人も加わるようになって手狭になり、この会場に移ったというのですが、取材したこの年の入場者は1万5千人、去年より4千人も増えたというのです。大勢で歌ったり踊ったりする文化のある、マレーシアの人々の趣向に合ったのかも知れません。
スタンドには櫓が組まれ、日本人中学校の女子生徒がお手本を踊り、男子生徒は日本から持ち込んだ大太鼓を“ドンドンカッカ”と叩きます。
今度は、東京音頭。今では日本人よりも圧倒的にマレーシア人の方が多く、トゥドンというスカーフを被った女性、民俗衣装の男性、中には在住の西洋人の女性も加わって、身振り、手ぶりよろしく正に国際的な盆踊り。
リポートとともにフジテレビに送ったところ大好評で「世界最大の盆踊り」とタイトルをつけて放送してくれました。
好評につき、という事で毎年恒例の取材となりました。参加者は更に増えて翌年はクアラルンプール郊外、シャーアラムのパナソニックの競技場に移り、2万人が集まりました。マレーシアの人々が近郷からバスを仕立ててやってくるという有様。何か変化をつけなければと踊りの輪に加わってリポートしたところ今度は「踊る特派員報告」というタイトル。帰任前、1994年の盆踊りでは浴衣姿の八代亜紀さんも登場、インタビューとともに放送するなど数々の想い出が残る「炭坑節」ですが、あれから28年たった今でも、日本人会主催の盆踊りは続いています。
去年はコロナ禍で中止になったようですが、2020年が44回目、参加者は3万人と言いますから、ほぼ半世紀の間にすっかり地元の名物、いや国民的な行事になっているようです。日本人、マレーシア人、中華系、インド系の人々が、広いスタジアムで“日本式の”盆踊りを楽しんでいるなんて想像してみて下さい。これ以上ない国際交流だと思いませんか?
「炭坑節・盆踊り」の取材は、記憶の1ページに今も鮮明に残っています。
関西テレビ 出野徹之