「放送人高橋信三とその時代」を読み終えて
和田省一会員(ABC)
毎日新聞で活躍の後に、毎日放送のラジオ、テレビを立ち上げ、長く社長として放送業界に大きな影響力を持った高橋信三氏についての評伝の決定版です。
五七〇頁余、膨大な資料を渉猟した労作で、この著作にかける辻さんの意気込みが感じられます。放送業界で長年仕事をしてきた身としては、襟を正す思いで読ませていただきました。大きな曲がり角に遭遇し、自信を失い、戸惑っているように思える現下の放送業界を思うと、この世界を切り拓いてこられた偉大な先達の高橋信三氏が残された足跡を振り返ることの意義は大きいと思います。
インターネットの影響力が大きくなった今の時代に高橋信三氏が生きていれば「これはむしろチャンスだ。インターネットと共存することで、テレビの新しい可能性を探れないか、それを考えるときが来た」と言うのではないかという思いから、高橋信三氏の後輩の辻さんはこの著作を書き起こします。
生い立ちや新聞記者時代の活躍・人間関係なども丁寧に紹介されています。放送の草創期に活躍された先輩の皆さんの活躍が生き生きと描かれています。ラジオ局の創設、テレビ事業への進出については、特に詳しく書かれています。高橋信三氏が設立に関わった放送局は、私が所属しお世話になった会社とはライバル関係になるのですが、辻さんは、膨大な資料を丁寧に読み込み、公正に書かれていると思いました。また、「すぐれたジャーナリストだが、放送の実務全般には必ずしも通じていない」と高橋信三氏の至らざる点も率直に指摘しています。
私が特に感銘を受けたのは、高橋信三さんの揺るぎない信念についてです。
「テレビは視聴者の知的欲求にも応えていけるものでなければならず」
「放送人はジャーナリストであるべきだ。つねに野党的立場にたって民衆の味方でなければならない」
「ときにはその情報が政府にとって不利なものであるかも知れないが、国家全体の利益という観点に立って、政府を批判することが高次元においての公共性の利益であると判断した場合は、政府と対決しなければならない」
「目的は利益をあげることではありません。(中略)社会に貢献することです」等々。
志高く放送事業を切り拓き、後進を導こうとする発言の数々に、新鮮な感動を覚えました。辻さんの高橋信三氏への敬意と愛情が生み出した瞠目すべき労作です。時代背景も丁寧に書かれており、近現代史としても奥行きのある作品として読むことも出来ます。