その時、私は後楽園球場に居た.
その時、私は後楽園球場のバックネット裏スタンドに居ました。1978年のプロ野球日本シリーズ、阪急ブレーブス対ヤクルトスワローズ、両チーム3勝3敗で迎えた第7戦での事です。
今年と同じように、大学野球の日程と重なりヤクルト主管試合は神宮ではなく、後楽園球場で行われたのです。ヤクルト1点リードの6回裏、大杉が阪急、足立の内角シュートをすくい上げレフトに大飛球を打ちます。線審はポール上を通過したとしてホームランと判定、守備についていた蓑田はファウルと判定して上田監督がベンチから飛び出し、後に語り草になる、1時間19分の猛抗議になるのです。
この年、西宮球場の試合は関西テレビ独占、後楽園球場の試合も1試合を除いてフジテレビの中継とフジ系列″ほぼ独占”状態でした。関西の試合が終わって、松本、塩田両ベテランアナウンサーとともにやや気楽に観戦していました。あの一打、バックネットのスタンドからは良い角度で見えます。微妙ですがファウルと見ました。今ですとカメラが何台もあって様々な角度から判定できるのですが、当時は審判の目が全て。コミッショナー、阪急球団代表までが説得に当たり、上田監督も、ようやく抗議を取り下げることになったのです。スタンドで見ていた私には、この間、あまり「長い」という感覚はあまりありませんでした。ただ、段々暮れていく東京の秋空の美しかったことを今でも時折想い出します。
両チーム、最下位からのリーグ優勝、20数年ぶりの何々、タイトルには困らない今年のプロ野球日本シリーズ。第1戦、第2戦ともに両チームの好投手の素晴らしいピッチングで手に汗握る展開になりました。舞台は東京ドームに移りました。
オリックスの中嶋監督がキャッチャーとして入団した時の、上田監督の言葉は今でも憶えています。 “ええで”が口癖の上田監督、「今度入った中嶋、ええで、ウチのキャッチャーこの先10年は大丈夫や、見とってみんさい」。その中嶋選手が監督として指揮をとるオリックス・バッファローズ。熱血上田監督は、高いところから久しぶりの日本シリーズを楽しみに見守っておられることでしょう。
関西テレビOB 出野徹之