私の「想い出の一曲」 情人的眼涙(恋人の涙)

私の「想い出の一曲」 情人的眼涙(恋人の涙)

  思いがけない長雨で我が家の狭い庭も草茫々、家人に急かされて雑草を取りながら「猫額大」という言葉を思い出しました。團伊久磨さんのエッセイ「パイプのけむり」の中に出て来て、面白い言葉だなと記憶に止めていました。「パイプのけむり」は1964年から2000年まで発行されていた週刊誌「アサヒグラフ」に團さんが書いていたエッセイで、私は単行本になるのを楽しみに最終27巻まで読みました。その中で大阪(日本)センチュリー交響楽団の事を書いた文章があったのを思い出して読み返しました。

 1992年8月7日の日付で「大阪府が創設した素晴らしいオーケストラ。その音質の良さ、情熱的で真面目な音楽への姿勢に惹かれて共演の機会が多い。去年はこのオーケストラのために新しい曲、“飛天繚乱”を書いた」とあります。私がセンチュリーの事務局長として仕事をしている時にも、團さんの話題がよく出てきました。楽団員も尊敬する作曲家、指揮者だったようで、一緒に演奏する機会のあった楽団員がちょっと羨ましかったです。

 着任して2年目の2003年、日中国交回復25周年を記念して上海で公演する話が持ち込まれました。中国で演奏する機会など滅多にありませんし、楽団員に中国の現状を是非見てもらいたいと10月から実行に向けて走り始めました。まずは楽器運搬という大仕事がありますから、担当者を下見に派遣、私も統括責任者としてホテルなどの下見に行きました。関西テレビ時代、上海支局は国際部長の管轄だったので上海へは何度も出張しています。支局の仲間にも知恵をかりつつ着々と準備を進めました。

 現地で少しでも言葉が話せたら、もっと楽しい旅行になると旧知の通訳に講師を願い、中国語講座を数回実施、楽団員は結構楽しそうに受講していました。音楽に携わっている人たちは音感が良いらしく、理解が早いと先生も驚いていました。演奏曲は中国でも知られているベートーヴェンと勿論、團伊久磨さんの“飛天繚乱”です。團さんが中国を旅する中で着想を得たと言われる飛天繚乱は、センチュリーのオリジナル作品、中国公演にはこれ以上の曲はありません。飛天、すなわち天女が奏楽しながら空を舞い繚乱する様と、その時鳴り響く様々な楽器の響きを表している、という曲です。今でも時折演奏されます。 

 準備整って、12月17日、いよいよ上海に向けて出発ですが、関西空港で思いがけないトラブルが。8時40分の集合時間に全員揃ったのですが、ホルン奏者の男性が「古いパスポートを持って来た」と言うのです。前夜寝る前に新旧パスポートを枕元に置いていて古い方を持ってきてしまった、のだそうです。「ナンデそんな事するの!」と思わず笑いそうになりましたが、奥さんが和歌山、橋本の実家から息せき切って届けてくれ、やっと一安心、全員揃って初めての中国演奏旅行に出発しました。最初のコンサートは杭州、上海空港からバスで向かいますが高速道路は無政府状態、3車線を4列になって押し合いへし合いして走ります。楽団員もこれにはビックリ、あわや隣の車とぶつかりそうになって「キャーキャー」言いながらも中国道路事情を楽しんでいます。

 杭州では西湖の畔を観光したり、美味しい淡水魚の料理を楽しんだりして、最初の夜のコンサートに臨みましたが、本番を前に地元の若い男女の記者、数人が訪れ取材を受けました。今回の指揮者K氏は、母親のルーツが北朝鮮に近い中国だという話を、私は團伊久磨さんと「飛天繚乱」の話をしました。日中国交回復25周年に相応しい曲だと説明、翌日の各新聞には結構なスペースがさかれていました。

 コンサート自体は、暖房も効きにくいホール、しかもクラシック音楽などあまり聴いた事のない人たちでしたから、演奏の途中で携帯電話が鳴ったり、お客さんが自由に出入りしたり、それは結構大変でしたが、事前に「それもあり」で演奏しようと言っておいたので楽団員はマイペースで演奏してくれました。

 上海に移動して、地元上海交響楽団との交流がありました。常任指揮者は陳變陽さん、立派な練習場で、合同演奏をする「飛天繚乱」をさらいました。その夜の食事会での事です。陳さんと隣り合わせの席で、私の好きな中国の歌の話をしました。以前、NHKと上海電視台が開催した「国際音楽祭」をテレビで見た時、Weiweiという女性歌手が歌った「情人的眼涙」がとても印象に残っていました。如何にも大陸的な大らかな、しかも切なく美しいチャイナメロディです。

 出だしを口ずさんだところ、陳さんも、横に居た上海のコンサートマスターも一瞬「えっ?」と言う顔をするのです。
「何かまずい事を言ってしまったかな?」と思ったのですが返ってきた答えに驚きました。
コンサートマスター氏「その曲、実は陳さんのお父さんが作曲したんですよ」。
今度はこちらがビックリ。聞くと、お父さんも矢張り音楽家で中国では有名な作曲家だったのです。

 それから我々の円型テーブルは一気に盛り上がり「カンペイ」の応酬となりました。
私にとって忘れられない中国演奏旅行であり、「情人的眼涙」は忘れられない一曲になりました。

(「情人的眼涙」はユーチューブで聴くことができます)

関西テレビ 出野徹之

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