.
私の「想い出の一曲」とスポーツちょっと良い話
何とも疲れるオリンピックがようやく終わりました。日本人選手の活躍は見事だったのですが、一方で毎日発表されるコロナ感染者数が記録的なので、お祝い気分も半減という毎日でした。そんな中で、今回初めて開催されたゴルフ競技、特に稲見萌寧選手のプレーと度胸に感心しながら中継を見ていました。そして森口祐子さんの解説を聞きながら1980年代に秋田で行われていた、東北クィーンズというトーナメントと“ファンキールックのお嬢さん”という60年代ポップスが連想ゲームのように頭に浮かんできました。
日本海側のテレビ局がゴルフ中継をする例は、それほど多くないのですが、1980年代、日本の経済は順調で、各局が競ってゴルフトーナメントを主催、中継していました。私も北は秋田から南は福岡までシーズンになると中継の応援に行っていました。メインの実況は勿論、地元のアナウンサー、我々応援部隊は割り当てられた各ホールを担当します。ディレクターとセットで呼ばれることが多く、アナウンサー同士の交流があったり、毎日地元の名物料理をご馳走になったり、お客さん扱いですからゴルフの応援は結構楽しい出張でした。
秋田テレビの応援で「東北クィーンズ」に初めて参加したのは1981年だったと記憶しています。土曜、日曜が収録本番なのですが、初日の本番に入り、テーマ曲が始まって「おやっ」と思いました。通常演奏だけで、歌声の入る曲は使わないのですが♪LaLaLa,,,,,,,,,,Gee it’s wonderful♪と,ボビー・ライデルの「ファンキールックのお嬢さん」という曲がいきなり流れてきたのです。
18番ホールの中継ボックスで聴いていた私はすっかり嬉しく、楽しくなりました。私は60年代、70年代ポップスを生で聴いていた年代でレコードやCDも沢山持っています。一体誰の選曲なんだろうと、それが気になって仕方ありません。中継初日が終わるや否や秋田のスタッフに聞いてみると、メイン中継の鈴木陽悦アナウンサーだと言うではありませんか。「りんご亭」という洒落た名前のレストランで行われた懇親会で早速鈴木さんに聞くと、矢張り同好の士でありました。以来、鈴木さんとは「60年代ポップス仲間」として長くお付き合い頂きました。彼のコレクションからカセットテープ数本に録音した曲を送ってくれたり、私の愛読雑誌を送ったり。
東北クィーンズではもうひとつ忘れられない思い出があります。
森口祐子さんはその頃、絶好調期で特に東北クィーンズは1981年から三連覇しています。
1983年も例年通り6月に開催されたのですが、実はその約一か月前の5月26日秋田沖を震源地とする日本海中部地震があり、多くの被害が出ました。トーナメントの最中も余震があったりしたのですが、森口さんの三連覇で無事幕を閉じました。表彰式で彼女は、厳しい状況の中での開催に感謝するとともに優勝賞金全額(200万円だったと記憶)を被災者に寄付すると申し出たのです。勿論、“良い話”として新聞、テレビニュースで取り上げられましたが、話はこれで終わりません。翌年の表彰式、他の選手の優勝だったのですが、主催者が「去年の森口さんの寄付に感謝し、その同額を改めて森口さんに差し上げたい」と発表したのです。一年後、というのがニクイです、決して忘れていなかったのですね。私も中継ボックスで「お主、中々やるな」とほっこりしたのを覚えています。こんな良い話、最近とんと聞きませんねぇ。
出野徹之(KTV)