私の「想い出の一曲」 ファド
「ファド」という言葉に出会ったのは何時の頃でしょうか。そしてそれがポルトガルに生まれた民族歌謡と知ったのは、かなり後の事だったような気がします。ただ、曲を聴いた事はなかったのですが、アマリア・ロドリゲスという歌手の名前は何となく知っていました。ファドとは“運命”とか“宿命”という意味だそうで、それだけで何となく暗いイメージがあり、私の中には韓国のパンソリとともに聴いてみたい歌のジャンルでした。
或る時、大阪のホテルで月田秀子という歌手のコンサートがありました。当時日本人でファドを専門に歌う人は珍しく、私も月田の名前は知っていたので一度聴いてみたいと思っていたのです。月田は関西の小劇場で演劇活動をするかたわら、出口美保の下でシャンソンを学び、デビューを果たしています。その後、アマリア・ロドリゲスの影響を受けて本格的にファドの世界へ、1987年にポルトガルに留学してファド歌手としてデビューしました。
私が聴いたのは帰国後、間もない頃だったかも知れません。その時の記憶はあまりないのですが、私にとって新しいジャンルの音楽、歌であったのは確かです。そして機会があればポルトガルで本場のファドを聴いてみたいと、長年考えていました。
ようやく実現したのは2013年、ただ、これが結構大変な旅でした。ツアー本体は成田から、関空からは関西から参加の10人ほどで添乗員は現地リスボンで合流という事になっているのですが、先ず関空で躓きます。我々の搭乗すべきオランダ航空が機体遅れで到着しません。添乗員が居ないので空港の案内だけが頼りです。待つこと久し、予定より2時間以上遅れて飛び立ちましたが、これではオランダ・スキポール空港の乗り継ぎ、リスボン着がどうなるのか「行ってみなければ判らない」状態に。「夕方6時45分にはホテルに到着、最初の夕食」とガイドブックには書いてあるのですが、結局我々、関西組が着いたのは現地の真夜中、時差も感じなくなっていて「笑うしかない」と言うヤツ。
それから6日間のバスの旅が始まるのですが、どこかでファドを聴きたいと添乗員に頼んでおいたところ、コインブラ大学を見学した後、坂道の途中の小さなホールで男性の歌手が歌うファドを聴かせてくれました。ギターの伴奏だけで歌われるのですが彼は弾き語り、想像していたより明るい印象でした。首都リスボンと中北部のコインブラでそれぞれ独特のファドが生まれ育ち、コインブラの方が明るいと言われているそうですが、あまり当てにならないようです。ただ私が期待していた“泥臭さ”みたいな印象はありませんでした。
旅行中、ガイドから日本とポルトガルにまつわる様々な話を聞きました。中でも私たちが日常普通に使っている言葉に沢山、ポルトガル語が残っている話はとても興味深いものでした。カッパ、チャルメラ、ジョーロ、テンプラ、メリヤス、ジュバン、ベランダ、フラスコ、ブランコ、、、、、ちょっと挙げてもこんなに、「へぇ~」と驚きます。ポルトの街ではポートワイン工場を見学、様々なワインの試飲でほろ酔いの頭で、安土桃山時代、チンタと呼ばれた赤ワインが、この地から日本に向かって船出したのだなと考えたりしていました。
高速道路をバス移動の途中、あるドライブインでCDコーナーを見つけ、ダメ元で、アマリア・ロドリゲスはあるか?と聞いてみました。店員が首をかしげているので発音が違うのだろうと、英語風に“R”を巻き舌にしたり、フランス語風に“ロドリゲス”を“ゴドリゲス”と言って見たり“懸命の”努力をしていた所、にっこり笑って、顔写真とAMALIAのロゴの入ったCDを持ってきてくれました。そして“アマーリア・ホドリゲス”と発音して見せました。なるほど、ポルトガル語では“ロ”ではなく“ホ”と発音するのかと納得。
ポルトガルを離れる前になんとか本場のファドを聴きたいと、帰国を明日に控えたリスボン最後の夜、ホテルに頼んでファドの店を予約してもらいました。タクシーは広い道路を離れ、暗い石畳の小路に入って行きます。止まった所は小さな街灯がついている、映画に出てきそうな雰囲気のあるレストラン、その名も「クラブ・ファド」。食事は済ませていたので飲み物だけで約1時間半、ようやく“本場の”ファドを聴く事ができました。特に趣向がある訳ではありません。女性歌手が壁際に立ってギターの伴奏でコブシの聞いた曲を切々と唄います。確かにコインブラのファドに比べるとマイナーな曲調が多いのですが、ただ一曲聴く度にため息が出るような、違う人の人生を聴くような不思議な後味があります。家人と2人、胸一杯に聴いてホテルに戻りました。あの薄暗いレストラン、ほのかな明かりの石畳の坂道は今でも思いだすことが出来ます。
フランソワーズ・アルヌール主演の映画「過去を持つ愛情」の中でアマリアが唄って世界中でヒットした「暗い艀」を知ったのは、帰国後の事。勿論、ドライブインで買ったCDにも入っていました。作家の壇一雄が愛し、暮らしたポルトガルは、イタリアのように遺跡がある、フランスのように芸術がある、といった特別のものは見当たらない、ごく普通の国なのですが、「もう一度、ゆっくり来てみたい」と思わせる地味な魅力のある良い国でした。
出野徹之(KTV)