マンゴーアレルギーとドリアンツアー

 

   ~マンゴーアレルギーとドリアンツアー~

 スーパーマーケットに黄色いマンゴーが並ぶ季節になりました。「清水の舞台から飛び降り、いや3回転半して買って来た」と家内がタイ産のマンゴーを冷蔵庫から出してきました。大きな種の両側を切って、いわば三枚におろして頂きます。正しい食べ方かどうか判りませんが、シンガポール在住時、シーズンにはほぼ毎日、こうやって食べていました。変わらず甘くて美味しい、、、、。

 シンガポールではこの他、フィリピン、オーストラリアなどからマンゴーがやって来ます。タイ、フィリピンのマンゴーは黄色で平たいのですが、オーストラリアのマンゴーはふっくらしてやや赤みがかっていたと記憶しています。
いずれも程よく甘くて、正に食べて頂かなければその味は説明しにくいのですが、ちょっと困ったこともあるのです。マンゴーは漆科の果実で、アレルギーのある人が食べると時として、痒み、ジンマシン状態になるのです。

 1992年から始まった自衛隊初の海外派遣、カンボジアPKO活動の時、東南アジア各支局と東京フジテレビから取材クルーが集結、首都プノンペン、駐屯地タケオで取材しました。4クルーで首都とタケオを往復する2泊3日の輪番勤務をしていたのですが、私がタケオからプノンペンのホテルに帰った時、東京から参加していたカメラマンが訳の解らない状況で苦しんでいる、と外信部から参加の女性記者がオロオロと部屋にやって来ました。
「体中痒い、微熱もあるようだ」と言うのです。話を聞いてみると初めてマンゴーを食べた、美味しいので結構沢山食べたらしいのです。ただプノンペンに信頼できる医者の知り合いは居ません。思いついたのがUNTAC(国連暫定統治機構)。多くの国から軍隊が派遣されていて、本部に行けば医務官も居るに違いない、と連絡をとったところ、「すぐに来なさい」との事。事情を話すと抗生物質の注射を一発、あれほど痒がっていたカメラマン、嘘のようにケロリ、「やっと寝られます」と大喜びでした。マニラ支局長、バンコク支局長、そしてシンガポールから参加の私は、
現地ガイド、ブティア君が田舎から持って来た、まだ青いマンゴーを食べても平気だったのですが。おそらく住んで、食べているうちに免疫が出来てしまったのでしょうね。初めて食べる方、ちょっとご用心。

 南国にいると日本では想像できないようなツアーがあります。
そのひとつが「ドリアンツアー」、シンガポール人は無類のドリアン好き。シーズンになるとインドネシア・ドリアンツアーが企画されます。6月から9月頃がドリアンシーズンとされていて、どういうキッカケか忘れましたが、このツアーに家内と参加しました。
ジャカルタからある地方までバスで移動するのですが、道路わきでドリアンの露店が出ているのを発見すると、車内で「ドリアン!ドリアン!」の大合唱が始まります。ガイドもドライバーも「仕方ないなぁ」とバスを止め、客は早速品定め。これという一品を見つけると店主が鉈のような刃物で硬い、イガイガのついた殻を割ります。ドリアンで連想するのは、かの有名な独特の匂いですが、そんなものはお構いなし。中から真っ白い果肉が現れます。

 今にも舌なめずりしそうな顔で、私たちにも「食べろ、食べろ」と勧めます。
私たちは興味本位で参加した唯一の外国人、皆から勧められても限界があります。ほどほどに付き合って食べていました。ところがバスが走り出して暫くすると、なんと主役のシンガポール人たちが「お腹が痛い」と言い出し、見知らぬ小さな町の医者に駆け込む騒ぎになりました。「ドリアン、ドリアン」と大騒ぎしたツアーは半病人が出て、後半はすっかりおとなしい旅になってしまいました。

 ドリアンにまつわる話には事欠きません。友人の事務所に行った時の事、ビルに入るや否や、例の匂い。「持ち込んだ男に皆で苦情を言いに行ったところだよ」。シンガポールではドリアンを地下鉄、バス、ホテルに持ち込む事は法律で禁じられています。

 ある日曜日、北隣のマレーシアにゴルフに行った帰りの高速道路で中型トラックの後ろを走る事になりました。荷台には何やら満載されていて、近づいてみたら、ドリアン。すぐに追い越し車線に出たのですが、翌日モハマッド運転手が「昨日、車にドリアン載せたでしょう?」と聞くのです。私には匂いが判らなかったのですがローカルの人にかかると一発、実は、、、と話して大笑いになりましたが事ほど左様に強烈な匂い、個性を持った果物です。またの名を“果物の王様”と言います。

出野徹之(KTV)

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