コロナばかりでなく、お茶を一杯いかが?
日本人の生活には欠かせない日本茶は、大かたの人は静岡が一大産地だと思っている。江戸幕府が倒壊すると、将軍の慶喜さん以下、直参の旗本、御家人は禄を失い、食い扶持を失って泣き、大挙して静岡に移住し、山を開き、谷を平野に変えて、茶畑を開き、茶の生産で彼らの食い扶持の手段にした。静岡は温和な気候と段々畠の茶は上質で、日本茶の代表格になった。浪花節にも♪駿河に茶の香り、、、、と歌われ、戦前の任侠世界の第一人者、清水の次郎長などは、明治になって島田の地方判事(司法試験などがない時代のMagistrate)に任命されて、もめ事の裁可などを担当した。
お茶は中国伝来の茶の栽培は同じでも、一番茶の若い芽を摘んで、蒸して、抹茶に加工したり、玉露などの上等茶は特別の温度の湯で(70度程度)急須を使って、香りも甘みも楽しんで、場合によっては、葉っぱを捨てないで、卵焼きに入れて焼いたりする。このお茶の呑み方などは、茶の湯の作法もあって、日本独特の文化になりました。
街の自動販売機で一番売れる飲み物は日本茶です。「おーいお茶」で名を売った伊藤園は、自動販売機などに登場させたことで、ソフトドリンク業界のお茶の部で大ヒットになり、他社の追随を許しません。熱海は戦後は新婚旅行先の人気スポットでしたが、宮崎にその場を奪われ、更に現在では、新婚さんは海外挙式する方が安価で、そのまま旅行先になるハワイなどが人気です。しかし、沢山のホテルが海岸沿いに建って、新婚さんがいないホテルには、東京から中高年の一泊1万円ポッキリ旅行の客が週末ごとに社交ダンスのメッカに利用しており、どのホテルも「伊藤園」が買い取ってチェーンホテル群になりました。今はコロナ騒ぎでどうなのでしょうか? 3年前にバンドの生演奏付きのダンス会が関東・関西民放交流会で開かれて、私は楽しんで来ました。
日本茶は最近は生活の洋風化で、コーヒーや紅茶に押され気味です。朝ごはんが洋風化して、その上、玉露などの上等茶を急須で濾して飲む習慣が薄れてしまいました。我が家も日本茶のテイーバッグを買うようになりました。日本茶は行き渡り、必ずしも上等茶を毎日呑む人ばかりではなくなり、お茶の需要は全体で減ったわけではなく、静岡が一大産地でなくなる事態になったのは、今年、鹿児島が第一位に躍り出たのです。静岡が第1位を失ったのは、人手不足で、良質のお茶の一番茶、二番茶等の手で摘むことができなくなり、機械で庭樹を刈るごとく一斉に刈り込むことで、近代化したからです。土地柄段々畑で、人手で茶を摘むようにできた畑は機械刈に譲らざるを得ませんでした。一方、産地第一位の鹿児島では、人手もあり、平地で機械刈りもできる利点がありました。
どの家でも、どの飲食店でも、お茶が出ないのは残念です。気が付いたのは、安物居酒屋などの食事には、手抜きして、お茶ではなくて、コップで水を出していたりします。私は良い和食のお店を選ぶ時に、水を出す飲食店には行きたくありません。そば屋やうどん屋でも良いお店は、お茶を出します。皆さんも観察してみてくださいネ。コロナで自粛中だと、話題が寂しくなり、面白い話題がなかなかご提供できません。蒙り御免。
伊藤妙子(KTV)