春の懇親会 講演(2017年4月14日)
鶴橋康夫監督(元讀賣テレビ放送)
「夢のつづき・・・」
中央大学法学部の学生だったころ、60年安保闘争の真っただ中で、連日、デモに出かけていた。 やがて就職シーズンを迎える。テレビ局はコネがないと受験できなかった。大学の哲学研究会で作文の指導をしてくれていた読売新聞記者の伊藤一男さんが読売テレビに推薦してくれた。
居候生活3か月
1962年4月1日、入社式を終わったら、そのまま東京に舞い戻り、もう一つ内定をもらっていた日本テレビに行くつもりでいたら、試験の時一度だけ会ったことのある桂川記者に「寝るとこは決まったのか」と呼び止められた。「いいえ」答えたところ結局、曽根(豊中市)の彼の家に居候することになってしまった。桂川さんからは「少年の野心をもて」「同じ局員としゃべっているくらいなら、居酒屋へ行って、人々のため息を聞け」と薫陶を受けながら、3か月間お世話になった。
3か月の試用期間が終わり、制作局に配属された。付いたディレクターは生涯の師となる荻原慶人さん。2年間、満足に寝る日がない時間を過ごした。23歳の終り頃だったか、荻野さんが「つるやん、1本撮らへんか」と言ってくれた。「10年早いかな」、と内心思ったが、即座に「喜んで撮らせていただきます」と答えていた。早速、宝塚映画の脚本部にいた藤本義一さんを訪ねると、「10年早い」と言われたが、そばにいた「幕末太陽傳」の川島雄三監督が「男は18を過ぎたら、皆同じだ。やってやれよ」と取りなしてくれ、出来上がったのが処女作の単発ドラマ「四角い空」だった。それから立て続けに悪女シリーズを3本演出した。こうなると、さすがにやめて帰るわけにはいかなくなった。
「坂部ぎんさんを探して」
思い出話をもう一つ。1978年放送のドラマ「坂部ぎんさんを探して下さい」だ。元売れっ子の無声映画の脚本家「坂部ぎんさん」は4本目の本に取り掛かっているが、途中まではよくできているのだが、なかなか仕上げられず、財産を失い、未完成のまま老境を迎えている。元女優で今は仲居の老妻が生活を支えている。その本とは、家老が殺され、若殿とその妹が敵討ちに出るのだが、賊はその日のうちに山中でクマに襲われて死んでしまう。それとも知らない兄妹は敵を求めて全国をさまよい、とうとう老境を迎えてしまうという不条理劇だ。笠智衆が演じてくれた。プロヂューサーは中野曠三さんで、脚本を倉本聰さんに頼みに行った。「芸祭に参加するので本を書いてほしい。ギャラは芸祭を取ったら1000万円。取れなかったらタダ」と言い、「演出が鶴橋ならいいよ」ということで話はまとまった。結局、芸祭は取れず、「おカネの出どころが・・・何しろ鶴橋がカネを使いすぎたから・・・」「いくらなんでもそれはないだろう」「分かった。俺の娘を売って金を工面するから待ってくれ」といったやりとりがあったそうだが、その後どうなったかは知らない。
今秋、新作クランクイン
時は一気に超えて今。おかげさまで監督した「後妻業の女」が大ヒット。在阪5局が支援してくれたおかげです。「シンゴジラ」と「君の名は」が100億円以上の興行収入を上げたため目立たなくなってしまったが、評判は良かったと思う。今は、倉本聰さん、藤本義一さん、川島雄三さんのことを思いながら、一生懸命脚本を書いているところだ。殿さまから「お前、男妾になれ」と言われた藩士の物語で、秋にはクランクインする。ご期待ください。
(TVO 中川民雄)