秋期懇親会(2016年10月14日)の講演
「ふたりのジャーナリスト」
ノンフィクション作家 後藤正治
1964年の東京オリンピックで3個の金メダルを獲得し、「オリンピックの名花」ともいわれたチェコスロヴァキアの体操選手、ベラ・チャフラフスカ。共産党政権下の1968年、民主化を求める「2000語宣言」に署名し、「プラハの春」と呼ばれたが、その夏、首都プラハはソ連軍に蹂躙され、旧体制が復活した。「2000語宣言」の撤回を迫られ、生活のために従う人が続出した。その中で、ベラは頑として信念を曲げなかったため、スポーツ界を追放され、最後は掃除婦となって生き延びた。20世紀は戦争の時代であり、偽りの革命の時代だった。その苦難の時代に背筋をシャンと伸ばして生きた1人。それがベラ・チャフラフスカだった。
戦後民主主義を大切にするリベラリスト
そんなスポーツ界のスターたちを長いこと取材してきたが、ここ10年ほど、表現者に心惹かれることが多くなった。その1人が深代惇郎であり、そして本田靖春である。朝日新聞と読売新聞と所属は違うが、ふたりは若き日、警察回りを共にした仲良しだった。深代は典型的な紳士で、物静かな知性派。本田はやんちゃな無頼派で、面白い人だった、という。しかし、共通項もあった。深代は昭和4年、本田は昭和8年と昭和1ケタ世代で、柔らかな心を持った年頃に、敗戦、そして戦後の困窮と混乱を経験した。そのせいか、戦後民主主義を大切にする、よきリベラリストであって、自立した精神の自由を重んじるジャーナリストであった。
豊かな知性、ユーモア、目線の低さが魅力
深代の「天声人語」は昭和48年2月から同50年11月1日までの2年9か月と短かった。我が家の購読紙が朝日新聞で、この頃筆者のことは関心がなかったが、熱心な読者だった。ある時、急に文体が変わり、つまらなくなった。それから間もなく急性白血病で死去という訃報が載り、筆者が46歳と若かったことに驚いた。後に「深代惇郎の天声人語」など数々の著作を購入したが、今でも本棚に残っている数少ない本の1つになっている。「新聞界で最高のコラムニスト」という定評は今でも語り継がれているが、それを支えているのは何なのか。それは豊富な知識、豊かな知性、ウイットとユーモア、そして何よりも目線の低さが魅力となっている。有名なコラムは、当時の田中角栄内閣を揶揄した「架空閣議」であろう。田中内閣が人気挽回策としてゴルフ庁を設置して、ゴルフの振興を図ろう、と大真面目で議論したというものだった。これに怒った二階堂官房長官が朝日新聞に厳重抗議し、経営陣はうろたえたが、翌日の天声人語で深代は、冗談が冗談であることを説明するには冗談でもってするしかないと、平然と書いて、筆を鈍らせることはなかった。硬派のジャーナリストであった。
ノンフィクションの古典的名作
それは本田靖春にも通じることだ。本田は昭和46年、読売新聞を退社し、ノンフィクション作家に転じたが、代表作は昭和38年に起きた吉展ちゃん事件を取材した「誘拐」で、今だにこれを上回る誘拐ものは出ていない。もう一つがノンフィクションの古典的名作といわれる「不当逮捕」だ。読売新聞の記者、立松和博が政争に巻き込まれて、がさネタを掴まされ、大誤報となった記事を書いて失脚した経緯が愛情をもって描かれていて、間然するところがない傑作である。読売社会部が輝いていた時代。ミスもあり、勇み足もあったが、記者が生き生きと活動していた姿を鮮やかに描いた。
品格があり、論理的で、わかりやすい
ふたりが活躍した時代は遠くなってしまったが、著作は今でも我々の身近にある。ふたりの著作に共通するもの、それはよい文章を読むときに感じる気持ちのよさではなかろうか。決して美文ではないが、品格があり、論理的で、わかりやすく、頭にすっと入ってくる。ふたりの著作はこれからも読み継がれてゆくだろう。そうあってほしいと切に願っている。
(TVO 中川民雄)