高齢社会において“健康”とは何か?
~世界のフィールド医学の現場から
京都大学東南アジア研究所
教授 松林公蔵
超高齢化社会・日本
日本は現在、世界一の超高齢化社会です。1950年は65歳以上の高齢者1人に対し、子供は4,5人もいましたが、現在は高齢者が子供の数を上回り、2050年には子供1人に対し、高齢者が4,5人と超高齢化社会を迎え、社会の枠組みは大きく変わらざるを得なくなります。高齢者の割合が大きく増えることによって、政治は高齢者にますます配慮するようになり、経済の趨勢は高齢者の消費動向に大きく左右され、「人間、いかに生きるべきか」という文学や哲学のテーマの主要ファクターは「青春から老い」に変わって来るのではないでしょうか。
フィールド医学の創出
病院を中心としたこれまでの臨床医学は、急性期疾患の救命と寿命の延長に大きく貢献してきました。そこでは、患者さんの死は医学の敗北とみなされてきました。高齢者を対象とした老年医学はそこのところが根本的に違います。老人はいずれ亡くなるのですから、老年医学で患者さんの死を敗北と言ってしまうと、必然的に全戦全敗となってしまいます。
通常の医学にとって生命を助けることは最重要な課題ですが、老年医学で重視すべきことは生活の質を高く保ち、自分の身の回りのことは自分で処理できるよう、心身共に健康を保ち、尊厳ある死を迎えられるように、手助けすることではないでしょうか。
高齢者がどう暮らし、どんな仲間がいてどんなものを食べ、どのような医学的な課題を抱えているか、また、生きがいに関する知恵とは一体何か。こういった課題は病院中心の医療ではほとんど見えてきません。ありのままの高齢者の医学的問題をすくい上げようとすれば医療スタッフの方から高齢者が暮らしている地域に出向いていかなければなりません。私たちが、病院から地域や家庭に出ていく「フィールド医学」に注力するようになったのにはこういう背景があったのです。
住み慣れた場所で最期を
1990年から行った高知県香北町(現香美市)の事例を紹介します。この地域の高齢者約1800人を検診し、食事や運動などの生活指導をおこなったところ、10年後、治療や介護を必要とする高齢者が減るとともに、医療費は年間で約1億円も減り、一人当たりの医療費も高知県平均を大きく下回り、女性の平均寿命は4.4歳も伸びました。
言うまでもありませんが、高齢者は、病気や体の不調と付き合いながら、出来るだけ介護を受けずに暮らせるようにしたいと願っています。「豊かな老い」とは何か。それは、心と体の健康を保ち、他人の世話にならず自分のことは自分でできること、そして、社会に参加して社会との関わりを持ち続ける、ことでしょうね。経済的安定も欠かせませんが、最後にもう一つ、スピリチュアルといいましょうか、いわゆる生き甲斐のようなものが極めて大事になるのだと思います。
「住み慣れた場所で最期を迎えたい」と望む人が増えています。どう死を迎えるか、看取るかという問題には宗教や哲学と連携した研究も必要になるでしょう。私も寄稿した「達老時代へ~老いの達人へのいざない」(横山俊夫編著、ウエッジ選書)という本が出ています。老いを楽しく面白く味わうにはどうしたらよいかを考察したものですが、興味があれば、ぜひ手に取ってみて下さい。
(TVO 中川民雄)