南極観測で地球が見える
第42次、第48次南極越冬隊員
理学博士 岩野祥子
2度の越冬
私は第42次(2000-2002年)と第48次(2006-2008年)の南極越冬隊に参加しました。当時、越冬隊員は30~40人、夏隊員が20~30人でしたが、最近は少し減っているようです。第42次では越冬が40人(うち女3人)。日本で2度越冬した女性は2人で、その第1号でした。南極には、地球の生い立ちを解明するたくさんのヒントが眠っていることがわかり、南極観測のため、観測船「宗谷」で出かけたのは1956年のことでした。厚い氷の海と戦いながら東オングル島にたどり着き、昭和基地(東経39度、南緯69度))を築いて早や60年となり、数々の業績を上げてきましたが、まずは南極とはどういう大陸かを説明します。
パスポートは不要
面積は日本の37倍、地表の98%が氷で覆われ、氷量は地球全体の90%に達します。台地状で、平均の標高が2010ⅿ、それを覆う氷の厚さは平均で約1860ⅿ。気温はもちろん地球で最も低く、年平均で-10.5°、最低気温は-89.2°を記録しています。南極条約で主権、領土権はどの国も主張できないことになっており、南極に入るのにパスポートはいりません。現在、30か国が60の観測拠点を持っており、日本は昭和基地のほか、内陸にドームふじ基地を持っています。
オゾンホールを発見
日本は南極観測を通じて、地球規模での環境変動の解明においても重要な役割を果たしてきましたが、なかでも、特筆すべきものが3つあります。まず、1982年のオゾンホールの発見です。地球を覆うオゾン層は成層圏にあって、太陽から降り注いでくる生物に有害な紫外線の多くを吸収する役割を果たしていますが、そのオゾン層が大きく欠落していたのです。大きい時は南極大陸の2倍にもなります。オゾンホールが広がれば、生物に深刻な影響を与えます。これはフロンガスが引き起こす化学反応によって生じるもので、現在はフロンガスの使用は規制、禁止されていますが、オゾンホールはなかなか小さくなりません。
2つ目は隕石の発見です。地球では約5000個の隕石が発見されていますが、 それ以外に南極では約28000個もの隕石がみつかっているのですが、その半数以上を日本が発見し、最初に発見したのも日本でした。落下年代が古く、種類も多く、保存状態もよいため、太陽系や惑星の成り立ちの解明などに役立っています。
氷床をボーリング調査
3つ目はドームふじ基地で行っている氷床のボーリング調査です。数十万年にわたって降り積もった雪が押し固められた南極の氷は、過去の地球環境の変化に関する情報が保存されたタイムカプセルです。その氷床を直径10cmの円柱状のサンプルとして採取、研究を重ねた結果、過去200~300年の間にかつてないスピードでCO₂が増えてきたことが解明されるなど様々な成果が上がっています。
そのほかにもさまざまな観測、研究が行われています。最大の観測チームは気象班の5人で、国際ネットワークの一員として24時間観測を行い、毎日2回、ラジオゾンデを上げて高層の気象も観測しています。地学系では地震観測が重視されています。南極には地震がなく、且つ世界の地震がM5以上ならすべて観測できるため、地震の研究に適しており、地球の構造の解明にも役立っています。昭和基地はオーロラの観測にも適しています。オーロラは南緯66~70度で最もよく発生するので、69度の昭和基地が有利なのですが、そもそもこの場所は人気がなく、1955年の国際会議で残り物を押し付けられたものでした。それが結果的に幸いしたというわけです。
食事は最高
最後に、南極における日常生活についてお話しします。何といっても楽しみは3度の食事です。調理は和食と洋食、2人のシェフが腕によりをかけて美味しい料理を作ってくれます。決して豪華ではありませんが、味は最高です。バーもあります。月1回、誕生会があってこのときはごちそうで、皆でケーキも作ります。紙で作った桜で花見をしたり、氷上に溝を作って流しソーメンを食べたり・・・・生活が単調にならないように皆様々に工夫を凝らしています。48次隊の時は観測50周年記念として巨大魚釣りに挑戦しました。ライギョダマシという魚で、3匹目に138cm、35kgの大物を釣り上げました。
声がかかったら是非また行きたいですね。
(TVO 中川民雄)