定例懇話会 「浪曲と私」 浪曲師・春野恵子

 

皆さん、浪曲をライブで聞いたことがありますか。手を挙げて下さい。あれ!ずいぶん多いですね。浪曲師の名前もよくご存知ですね。ここにいる方は浪曲偏差値が高いと思います。 昨日、名古屋の会場でお聞きしたら、一人の名前も出てきませんでした。大阪という土地柄もあるのでしょうか。


先ほど辻一郎さんとお話していたら、辻さんがMBSに入社したころテレビはなく、ラジオでは、浪曲の番組は大変人気があったそうです。長者番付のベスト3を浪曲師が占めたこともあるそうです。
 最盛期には浪曲専門の小屋が大阪に30か所以上もありました。それが今はゼロです。定席は東京・浅草の木馬亭のみで、大阪では一心寺南会所の毎月3日間公演のみとなりました。今や浪曲師は絶滅危惧種と言っても過言ではありません。浪曲になくてはならないものが三味線で、三味線弾きを曲師と言いますが、曲師は浪曲師以上の絶滅危惧種でして、ここにいらっしゃる一風亭初月師匠は大変貴重な存在なんですよ。
 

私は大阪を本拠地にしていますが、東京生まれの東京育ちです。浪曲師になる前、TVタレントでした。「進め!電波少年」では、2000~2001年に坂本ちゃんの東大受験の家庭教師役を務め、合格発表日の視聴率は30%を超えました。大変な人気者になり、街を歩いていてもあちこちから声がかかり、大変でした。タレントとしていろんな番組に出させてもらいましたが、何の芸もない自分自身を顧みて不安を感じました。修行を積み重ね、本当の芸を身に着けなければならないのではないか。落語や講談などの寄席に通い詰めました。

そんなある日、ふらっと入った木馬亭。そこではじめて聞いたのが浪曲でした。お客さんの反応をみながら、お客さんと一緒になって世界を作ってゆく、素晴らしい一人芸でした。これはお客さんの脳味噌の中に絵を描いてもらって成立する芸でした。

 こんな芸を是非とも自分のものにしたい。矢も楯もたまらず、坊主頭となって大阪行きの夜行バスに乗りました。2003年7月10日のことです。大阪に着くと、その足で国立文楽劇場の楽屋に押しかけ、2代目春野百合子師匠に入門を懇願したという次第です。


浪曲は「一声、二節、三啖呵」と言います。数限りなく唸って声帯をつぶし、それでも唸って声帯にタコができると、浪曲師らしい声になります。また、日本人には心地の良い七五調の節回しで、三味線も入りますから音楽的な要素もありますね。だから音感の良さも大事なんですよ。また、一人で男女を演じ分ける必要があり、猛々しい野武士の声も出さなければなりません。威勢のいい啖呵は気持ちがいいですね。

 昨年、浪曲人生10周年を迎えました。いろいろチャレンジしようということで、現代ものの創作浪曲のほか、英語浪曲を手掛けました。「番町皿屋敷~お菊と播磨」(さわりの実演あり)です。これをもって3月に渡米、5日にNY五番街のジャネットホールにおいて浪曲会を開きます。日本語の響きを楽しんでもらうため、日本語(字幕付き)で「夫婦花火」も語る予定です。
4月には中国のアモイ、5月はドイツのベルリンでも公演します。微力ですが、一人芸の魅力を伝えられれば幸いです。たとえば、スペイン人が浪曲に触発されて、彼の地の昔語りをギターの伴奏で語るスペイン浪曲を生みだしてくれたら素晴らしいですね。    

(ということで、最後に「夫婦花火」を語っていただきました)
(TVO 中川民雄)

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