今回は富田林です。散策同好会三十四名は、五月十五日あべのハルカスを見上げながら近鉄・阿部野橋駅を出発し富田林駅に到着。駅から約四百m南の寺内町交流館でガイドの説明を受けました。
東西約四百m、南北約三百五十mの寺内町は永禄初年に誕生。約四五〇年前、中世期から続く町並が現在も息づいています。当時は戦国時代。街筋の道と道とは「あてまげ」といって半間ほど道をずらし見通しを妨げています。
屋根の上には、かまどの煙を出す「煙出し」と云われる越屋根。塀の上には防犯用に先のとがった竹・木を並べた「忍返し」。屋根裏部屋の明かりとりと風通しのための「虫籠窓」など当時の面影が偲ばれます。
次に興正寺別院へ。浄土真宗興正寺派の寺院で永禄三年(一五六〇年)京都から現在地へ。本堂は寛永十五年(一六三八年)再建。江戸時代は寺子屋として利用され、戦時中は学童疎開を受け入れたとの事。
興正寺を後に、四層の大屋根が特徴の旧杉山家を見学。杉山家は寺内町創世期からの旧家で代々造り酒屋を営なみ、主屋は十七世紀と古く享保十九年(千七百三十四年)現在の形に整ったそうです。数寄屋造りの奥座敷、菊の模様の透かし彫りのある欄間、文化・文政の頃に描かれた障壁画など鑑賞し、古市の古墳群へ。
古市古墳群は藤井寺市から羽曳野市にかけて東西四キロ南北四キロの範囲に分布する古墳群。大小一二七基の古墳が六世紀中頃までに造られたそうです。駅の近くの日本武尊白鳥陵から墳丘長四二五m、古市最大の応神天皇陵など見学、最後に応神天皇を祀る誉田八幡宮に参拝。古代、中世に思いを馳せた一日でした。
(佐伯武夫)