私の「想い出の一曲」 サプタンガン(ハンカチ)

Posted by on 2021年10月02日

 

私の「想い出の一曲」  サプタンガン(ハンカチ)

  日本で初めて開催された“花博”、「国際花と緑の博覧会」は1990年9月30日、183日間の幕を閉じました。私が報道に異動してから初めて担当する“記者クラブ”、会場の鶴見緑地に8か月ほど通いました。

 開幕早々、ウォーターライド落下事故など波乱含みのスタートでしたが、閉幕まで四季折々の花や植物、世界の珍しい花たちが多くの話題を提供しました。中でも各国に因んだ日、ナショナルデーが設けられ、お国自慢の出し物が披露されるのも話題の一つでした。インドネシアの日に紹介されたのが、グサン・マルトハルトノさん。母国では知らない人が居ないくらい有名な、シンガーソングライターの草分けのような人です。当時既に70才を過ぎていましたが、若々しい艶のある歌声を披露してくれました。曲は高齢の方なら知らない人は居ないと思います、

 “ブンガワン・ソロ”。「え?ブンガワン・ソロって民謡じゃないの?」という人も多いと思いますが、今回は彼の作ったもう一つの美しい曲、“サプタンガン”のお話。

 インドネシアの日を迎えるにあたり、国の英雄とも言うべき偉大な作曲家で歌手のグサン・マルトハルトノさんが来日する事になりました。大阪での受け入れ団体として「関イ連:関西インドネシア友好協会」という組織があるのをこの時、初めて知りました。大阪市内の事務局に伺うと、かつてインドネシアでビジネスに携わった人、戦時中滞在していた人などが参加している団体でグサンさんの来日を楽しみにしている、との事でした。そこで初めて、「ブンガワン・ソロ」がグサンさんの作った曲で、他にも多くの曲を作っている事を知りました。

 私は、年の離れた2人の兄や父から受け継いだ、わら半紙の古い歌の本を持っているのですが、そこにもインドネシア民謡、或いはジャワ民謡と書いてあります。これはローカルニュースの「企画もの」で1本出来るかも知れないと、デスクに掛け合って東京の日本音楽著作権協会に行きました。膨大な資料を見せて頂き、協会ではグサンさんの曲と認識しているものの、曲を使う側に認識がなく、申請がされていない事が判りました。恐らく戦中か戦後から広く歌われ、使用されていたこの曲、ゲサンさんの手には著作権料が全く入っていなかったのです。

 花博インドネシアデーは赤々とたかれるかがり火の中で行われたと記憶しています。グサンさんの渋い歌声、民俗衣装を身に着けて、ゆったりとしたインドネシア女性の踊りは、まだ行った事のないインドネシアを彷彿とさせてくれました。そして数々の曲のなかに、サプタンガンがあったのです。去って行った人の残したハンカチに過ぎし日を偲ぶという、メロディのとても綺麗なロマンチックな曲で、どうしてももう一度聴きたくなりましたが、レコード屋に行っても勿論インドネシアの曲などありません。

 一計を案じて当時まだ神戸にあったインドネシア総領事館を訪ねました。スタッフは勿論、この曲を知っていましたがカセットテープなどはありません。「もし留学生が持っていたら連絡してあげましょう」との答えをもらうのが関の山でした。イフォ・ニラクレシュナという女性歌手のテープを手に入れたのは何時の頃か忘れてしまいましたが、クロンチョン独特のゆったりした、ちょっと物悲しいメロディに載せて流れる声量豊かなサプタンガンは、聴く度に心を癒してくれます。1991年に赴任したシンガポールはマレー系、中国系の民族音楽の宝庫、グサンを始め、ヘティ・エンダン、などクロンチョンのカセットテープを四本手に入れ、今も時々取り出して楽しんでいます。

 *クロンチョン:インドネシアを代表する大衆音楽のジャンル。
  フルート、ヴァイオリン、チェロ、ギター、ベース三弦の小型ギターなどで演奏される。
  打楽器は使用されず弦楽器だけでリズムを作るのが特徴。
 *グサン:インドネシア語では「グ」と「ゲ」の中間の音で発音される。
  ゲサンという人も居る。

出野 徹之(KTV)