スポーツ昔噺 極真空手・春高バレーバボちゃん

Posted by on 2021年05月02日

 

スポーツ昔噺

極真空手 

 「おれたちひょうきん族」や「笑っていとも」など、フジテレビの視聴率1位時代を築いた、横澤彪さんと一緒に仕事をした事があります。と言っても、“ひょうきん懺悔室”で水をかぶった訳ではありません。横澤さんがフジ制作かどこか、系列会社での不遇時代でのことです。

 「フジテレビが空手中継のアナウンサーを探しているから行ってこい」と上司に命じられて東京に出張しました。1976年のことだったと思います。私は大阪で毎年、ある空手の選手権大会の中継をしていました。いわゆる“寸止め”の空手です。当時、フジテレビでは空手の中継をした経験、ノウハウが無いため系列局に声がかかったもので、極真会館の主催する全日本空手道選手権大会、ダイレクトコンタクトの空手です。

 実際の中継は横澤さんの居られた系列会社。打ち合わせで横澤さんを始め、制作会社のスタッフと顔を合わせましたが、驚いたことに彼らは普段、「キンカン民謡のど自慢」といった番組を作っていて、空手などスポーツものは撮った事がないと言うのです。随分、無謀なことをするものだと半分感心してしまいました。その時、印象に残っている横澤さんの言葉があります。「視聴率取れないディレクターは会社で廊下の真ん中を歩けないんですよ」

 会場は東京体育館、私には「春の高校バレー」でお馴染みの所ですが、ここで早くも横澤流が出ます。「春高バレー」の時はアナウンサーもディレクターも通用口から出入りしますが、「新宿の京王プラザを予約してあります。毎朝車が迎えに行きますから、体育館の正面玄関から入って下さい」と言うのです。出張前に「ホテルを取ってある」とは聞いていましたが、そんな高級ホテルとは。普段は水道橋のリーズナブルホテルで、会社から出る宿泊費を浮かして、なんてサラリーマンをやっていたのですが。

 なんでだろう?という疑問は大会初日に氷解しました。東京体育館前の駐車場に着くと、選手、スタッフが大勢集まっています。大山倍達館長を待っているのです。私が降り立つと黄色い揃いのジャケットを着た極真会館の面々が「オス!」と道を開けてくれるのです。玄関までの道のりを「オス!オス!」の声に送られて歩くのは結構気持ちのいいものです。「そうか、横澤演出はここから始まっているのか」と納得しました。後で聞くとアナウンサーも、大会や番組を盛り上げる重要な一員、スタッフではなく“出演者”として振舞って欲しいから、という事でした。流石、東京と感心しきりでしたが、試合に入るや今度は“人使いの荒さ”にビックリ。

 普通、トーナメント方式のスポーツを中継する時は、「一回、二回戦、準決勝、決勝戦」と順番に放収録するのですが、1回戦から準々決勝までの試合を全部しゃべれ、と言うのです。何せ百人近い選手が二日にわたって試合をするのです。一日目の1回戦、2回戦をしゃべりにしゃべりまくりました。そしてインパクトのある試合を“予選”としてひとまとめに。握りこぶし、素手で戦うのですから、骨折など当たり前ですし、回し蹴りを受けて昏倒、担架で運ばれた選手が「先ほど意識を取り戻しました」とアナウンスで紹介されるなど他では見られないスポーツ(?)中継でした。実況は私、当時人気だったマッハ文朱さんがゲスト、解説は大山倍達さんの甥、大山泰彦さん。作家の梶原一騎さんも連日会場に現れ、少年マガジン「空手バカ一代」で私たちの実況も劇画のワンシーンになりました。田舎の両親に知らせると、普段コミック誌など読んだ事のない父が買ったのは良かったのですが、「お前、いつも“こ・こ・これは大変です”とか、つっかえてるな」と電話がありました。昔者の父は大真面目に読んでしまったようで大笑いになりました。

 さて、この大会で大山倍達さんと握手する機会がありました。“猛牛を素手で倒した”人とは思えない、マシュマロのような“肉厚でふわっと暖かい手”で驚いた記憶があります。実はそれから数十年後、同じような手に出会った事があるのです。1991年8月、海外特派員として赴任した時、独立記念日にお会いしたシンガポールの国父、初代首相のリー・クアンユー氏の手です。大勢の来賓に混じって握手をした時、どこかで感じた“手の感触”、と思った記憶があります。“大人(たいじん)の手”とでも言うのかな、と今思い返しています。数年経って「笑っていいとも」「ひょうきん族」が大ヒット、横澤さんは“大手”を振って廊下の真ん中を歩いた事でしょう。

 

春高バレー・バボちゃん

 現役時代はスポーツを担当していました。プロ野球がメインですが、アザースポーツと呼ばれる各種スポーツも。中でもフジテレビ系列は、春の高校バレーを創設したり、他に先がけてワールドカップの中継権を得たり、バレーボール中継には力を入れていました。今は正月休みに開催されている高校選抜大会、名前の通り創設時は“若さでアタック、春の高校バレー”と春休みの開催でした。従って寒い2月に地方予選があり全国各地で系列局がローカルで放送していました。

 全国大会にはフジ系列の各社からアナウンサー、ディレクターが大集合、合宿のような雰囲気で中継にあたります。自分の地元のチームを担当するとは限りません。各アナウンサーが資料を貸したり借りたり、ちょっと学生時代のような雰囲気もありました。アナウンサー、ディレクターが全員揃って食事会の時だったと思います。フジテレビのベテランアナウンサー山田さんが「フジ系列のバレー中継にマスコットを使う事になってね」とお馴染み、丸いバレーボールに手足、目玉のついた可愛い坊やを見せて、「ニックネームをつけてはどうだろう、という話が出てるんだけど、何か良いアイディア無いかな?」とのこと。今から数十年前のこと、一般募集したかどうかは定かではありませんが、皆で「う~ん」と腕組みしました。

 仙台放送の浅見アナ「バレーボール、で“バボちゃん”ってどうですか?」。アナウンサー仲間では若手の部類、ひょうきんな事をいっては皆を和ませるタイプの浅見アナのアイディアに山田さん、「あ、良いかもしれない。良いねぇ」、その後、会議にかけたかどうか知りませんが“バボちゃん”に決定。インターネット検索をすると、“フジテレビ系列がバレーボール中継する時のマスコットキャラクター”とは出てきますが名前の出典、名づけ親までは書いてありません。今や知っている人は少なくなってきましたので歴史の証人として(そんなオオゲサなもんか??)“証言”を残しておきます。

 バボちゃんの名前のついた沢山のグッズ、彼の所に著作権料が入ったかどうかは聞き洩らしました。

出野徹之(KTV)