北摂の古代史跡と西国札所をめぐる

平成24年4月6日

今年は、現存する日本最古の歴史書「古事記」が、712年に編纂されてから、1300年。天皇を中心とする日本統一の由来が、神話・伝説・歌謡で語られており、考古学ファンには新たに古代史研究、大和朝廷への関心が高まっているようだ。 高槻・茨木市の北部には、かなりの古墳が散在している。
3月27日、雲ひとつない真っ青な空、しかし、北風はまだ冷たい阪急電車京都線の富田駅。「普通電車しか止まらない、こんな駅に来たのは初めて」と、口ぐちにつぶやきながら、午前10時、この日の参加者45人が集まった。

埴輪の列

  
  目指すのは、今城塚(いましろづか)古墳。女瀬川沿いを、ゆっくり北へ。
およそ30分。昨年4月、高槻市教育委員会が、10年間の発掘調査と、7年間の整備工事を終えて、完成した古墳公園「いましろ 大王の杜(もり)」に到着。全長190mの大きな前方後円墳に入って歩く。多分、こんな大きな古墳の上を歩いた経験はないだろう。

  経緯がある。宮内庁はここから1.5Km西にある、太田茶臼山古墳(全長226m)を、第26代の「継体天皇陵」と定めた。このため今城塚は、北摂の豪族の墳墓として、出入り自由となったが、高槻市としても、文化財を放置できないので、調査を続けた結果、200点以上の家・門・太刀・力士・水鳥などの埴

出土した埴輪の説明を聞く

輪が出土した。「本物の継体天皇陵は、こっちだ」という説が、考古学会でも有力になっている。そうすると、天皇陵の上を歩いたことになる。
  
 こうした埴輪のレプリカ190点と2000本の円筒埴輪が、ずらっと並んだ「祭の広場」は、古代を忍ばせる。「古代歴史館」では、発掘した本物の埴輪が迎えてくれる。

 さぬきうどん茶屋「水車」で昼食。13:00過ぎ。午後の歩き本番。西国街道を西へ、すたこら。継体天皇陵を参拝。東芝が撤退した広い工場跡地を見ながら、「疣水神社」。神功皇后が戦勝祈願し、疣だらけの顔になって勝った後、お礼にきて神水で洗顔したら、元の美顔に戻ったという。
  
  
  西国観音めぐり22番札所の総持寺。実は「本日の走行距離7Km」と案内していたが、どう見ても8Kmは超えた。解散の阪急・総持寺駅まで、予定時間はやや遅くなったものの、落伍者は一人もいなかった。「久しぶりにほんとの散策だった」と言いながら、ぐったりしたようだ。

(TVH 藤川 昌良)

下半期の散策予定
10月15日(月) 京都・泉涌寺周辺
11月 7日(水) 尼崎・寺町界わい
12月 8日(土) 和歌山・九度山

 

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