徒然なるままに
徒然なるままに 私の「想い出の一曲」~「大海(ターハイ)」
徒然なるままに 私の「想い出の一曲」~「大海(ターハイ)」 手元に1本の大事なカセットテープがあります。最初から再生すると「ピー」という、放送局で録音を始める時に入れる「イチケーシー」と言いましたね、確か。この音が入って、おもむろに「大海阿故郷」の器楽演奏が再生され、続いてソプラノの美しい歌声で中国語の歌が始まります。 今から約40年前、1980年代の初頭、「音楽の旅はるか」という番組を楽しみに見ていました。毎週日曜の朝だったと記憶していますが、作曲家の團伊久磨が、世界各地を旅しながら、その国の音楽を紹介する、といったコンセプトだったと思います。その中で今も記憶に残っている旅があります。中国人の女性歌手、李木蘭(リ・ムーラン)と一緒に北京、ハルピンを紹介するエピソードでした。 木蘭はとても澄んだ美しい声の持ち主で、会話の声も綺麗だったのを覚えています。湖の畔を歩きながら、木蘭が、中国の或るテレビ番組の話をします。当時、中国でとても人気のあった「太陽島上(太陽島にて)」という、リゾート島を舞台にした青春ドラマのテーマ曲と「大海」という曲を紹介しているのですが、面白いのは團伊久磨が、歩きながらタバコを吸っているのです。 團氏には「パイプの煙」という有名な、そして長く続いたエッセイシリーズがあって愛煙家であることは周知でしたが、今では、テレビで殆ど見ることがなくなった“喫煙シーン”、何故かはっきり覚えています。当時は全く問題なかったのでしょうね。 番組で李木蘭は「大海」と紹介していましたが、「大海阿故郷」が正式タイトル。大陸的で伸びやかな旋律の美しい曲です。中国では大変ポピュラーな曲のようで、今でもYouTubeで聴く事ができます。私は、番組の中で李木蘭が唄った、この曲をどうしても、もう一度聞きたくて、実はキー局のTBSに手紙を書きました。80年代ですから私も関西テレビで勤務していたのですが、「一番組ファン」として書いたのでしょうね、今でははっきり覚えていませんが。 すると、ある日、1本のカセットテープが届いたのです。今では著作権云々で、とてもそんな事できないと思いますが、良い時代だったのですね。 更に、B5大の紙に、番組タイトル、「北京・ハルピンの巻」というサブタイトルとともに、A面に9月22日放送、「大海阿故郷」の器楽演奏、唄入り。B面には9月28日放送、「太陽島上」器楽演奏、唄入り」などと手書きの表まで入っていたのです。 どうやら、スタジオ録音の同録のようで、やり直しの音まで入っています。今、取り出すと紙は少しセピアがかっていますが、器楽演奏も李木蘭の歌声も鮮明、團さんと湖の畔を歩くシーンが蘇ってきます。手間をかけて録音して下さった方にお礼を言いながら聴く、私の宝物です。 関西テレビ 出野徹之
カンゲキ日記 「桜姫」
徒然なるままに カンゲキ日記 「桜姫」 岩渕輝義 シネマ歌舞伎、鶴屋南北「桜姫東文章」上巻・下巻を観ました。片岡仁左衛門と坂東玉三郎との36年ぶりの顔合わせで昨年上演されたものです。 上巻では、僧 清玄(仁左衛門)と稚児の白菊丸(玉三郎)の心中場面から始まり、生き残ってしまった清玄が17年後に、白菊丸の生まれ変わりである桜姫(玉三郎)と再会します。桜姫は家宝を盗賊に奪われたあげく、父を殺されて出家を心に決めますが、かって暗闇のなかで自分を犯した男の子供を密かに産み落としていました。ある日巡り合った釣鐘権助(仁左衛門の二役)こそがその男と知ります。しかし彼が盗賊とは知らず、再び権助に身を委ねますが、密会の相手が清玄と間違われて清玄ともども流人となります。 下巻では、桜姫は権助と一緒になり女郎屋で働かせられます。そこへ桜姫に執着する清玄が現れて桜姫を殺そうとしますが逆に殺されてしまい、幽霊となって付きまといます。この殺しの場面にいたる筋立ては、悪党の権助を中心に見ごたえのある展開が続きます。また女郎となった桜姫が、伝法な女郎言葉と、たおやかな姫言葉を使い分ける場面、後編を通じた仁左衛門の色悪ぶりが秀逸です。 最後には、家宝を奪って父を殺したのが権助と明らかになり、桜姫が仇を討って家の再興がかないます。歌舞伎史上、最もスキャンダラスでドラマチックな物語と言われますが、とても江戸時代の作品とは思えない濃密な舞台でした。 近年は世界最高峰の舞台を映画館で上映する機会が増えました。私の一押しはメトロポリタンオペラのライブビューイングです。6月には現代最高のソプラノ歌手、A・ネトレプコが「トゥーランドット」を歌います。ぜひご覧ください。 2022年5月16日 岩渕輝義
着物教室奮戦記!
着物教室奮戦記! 恥ずかしながら、この歳にして着物の着付けを習っています。多分教室では最高齢です。ほんの少しですが昔の着物を持っていて、捨てるには忍びないし、いまだに一人で着られない。関西民放クラブの故・松見真理子さんが現役の頃、着物のデザインをなさっていて発表会も何度か催され、そのとき買った着物・帯もあります。思い出の品です。若いころは母に着せてもらい、その後は、結婚式への参列、お正月のパーティーなど着物を着る機会があったのですが、その時はプロの方に着付けをして頂きました。だから、自分で完全に着たことがなかったのです。日本女性として情けなや!! そこで一念発起、着付け教室へ通い始めたのです。教室はあべのハルカスの28階にあって便利で綺麗。若い方々と一緒で先生も美しく楽しい方ばかりです。着物・帯一式は教室に用意してあるのを無料で借りられます。したがって手ぶらで通えるのです。料金もめちゃ安いです。その教室では、着物を着て出かけましょう!イベントが、たくさんあり、3月には大相撲春場所、野村萬斎一門の狂言をフェスティバルホールに観に行きました。相撲は着物姿で30人が参加して注目を浴びました。きちんとした狂言は初めの観劇。大笑いした一日でした。ほかにガラスの帯留めを作りに行ったり、染色屋さんに見学に行ったり、貴船へ鮎を食べに出かけたり、ランチの会、新年パーティー、お茶会、歌舞伎、文楽観劇などなど楽しい催しがたくさんあって着物を着て出かけるのです。 若い女性やお母さん方や、亡母が残した着物を着たいという方などが、教室に来ていて、華やかです。明日息子の入学式だから、来週親戚の結婚式に参列するからなど、大慌てで着付けを先生に教えてもらっている人など、にぎやかなこと。着物を習おうという女性がこんなにもいて将来が楽しみです。京都、金沢などでは借り物の着物を着て歩いている観光客の男女も多くみられ、喜ばしいことです。上級クラスまで進むと、教授の免許も取れますし、着付け師にもなれます。私は自分さえ着られたらいいので、基礎が終わった後は、月1回だけ通っています。でも着付けって難しいのです。すぐ忘れますし。私は最低でも1時間はかかります。 母の時代は普段から着物で過ごしている日もありましたし、父も帰宅すると着物姿になることもありましたのにねえ。今はすっかり着物はタンスの肥やしです。 着物を着る時は、前日から着物・帯・帯揚げ・帯締め、草履などのコーディネートをし、着た後は干したり洗ったり、畳んでタンスに収納するまでは部屋中百花繚乱です。やっぱり着物は大変です。今井敦子さんはいとも簡単に着られます。うらやましい! あ、着付けを習っていることは内緒にしていたのに、ついにバラしてしまった!お笑いください。 上村十三子(MBS)