「とんとんとんからりと隣組」

「とんとんとんからりと隣組」      

とんとんとんからりと隣組
格子を開ければ 顔なじみ
廻して頂戴 回覧板
知らせられたり 知らせたり

とんとんとんからりと隣組
あれこれ面倒 味噌醤油
ご飯の炊き方 垣根越し
教えられたり 教えたり

とんとんとんからりと隣組
地震や雷 火事どろぼう
互いに役立つ 用心棒
助けられたり 助けたり

とんとんとんからりと隣組
何軒あろうと一所帯
こころは一つの屋根の月
纏められたり 纏めたり

 私たちの年代だったら当然この歌をご存じのことと思います。
プライバシー侵害だの個人主義だのの昨今ですが、私はこの歌が大好きで、少し長いのですが敢えて4番まで記載しました。

 作詞は何と岡本太郎氏の父上の岡本一平氏です。1940年にNHKラジオで放送されたのが始まりだそうです。明るいリズム(作曲・飯田信夫)も好評で、ドリフが替え唄を歌ったり、コマーシャルにも多く使用されました。

私の隣組は8軒です。8年に1回当番が回ってきます。仕事をしていたころは、義母が世話をしてくれていましたので、私は義母が亡くなってから、ようやく近所付き合いも始め、当番は今回で3回目。24年前に初めて当番役をしました。当番の仕事は、回覧板を回すことと、年に1回町内会費を集金することだけです。でもその僅か8軒すら私はほとんどお付き合いがありませんでした。

 そこでおせっかいな私は、一度顔合わせ会をやろうと考えたのです。「そんなことをしても嫌がって参加しない方もいらっしゃるよ」と言われつつ、近所の喫茶店を予約し日程を調整して招集しました。なんと全戸の方が出席、中にはご夫婦そろって参加されました。そこで初めて家族構成を連絡し合い、ゴミ出しで困っていること、近所のお医者さんなどの情報を交換しました。和気あいあいで、年に1回くらい集まりましょうよ、と。

 なのに、その後誰一人、会を開かないまま8年が経ち、また私に当番が回ってきました。私は再び会合を開きました。全戸が参加。8年経つとそれぞれ家族にも動きがあり、一人暮らしになった方や、ご主人を亡くされた方も。今度はもしものとき連絡がつくように携帯番号の交換をしました。幸いお互い携帯を使うこともなく経過、その後も一度の集まりも開かれず、また今年4月から私が当番に。もう私も集会は諦めました。

 でも、私は「隣組」の歌詞のように、ご近所仲良く楽しく暮らしたいです。お米を切らしちゃった。少しだけ貸して!とか。あれこれ考えた末、今度は無味乾燥の回覧板をただ黙ってポストに入れるだけでなく、一言メッセージを付け加えようと思っています。「コロナ感染気をつけましょうね」とか、「長居公園の梅が咲き始めましたよ」「セレッソ大阪(長居スタジアムがホーム)の試合を観に行きたいですね」とか・・・ここにほかの方も一言メッセージをつけてくれることを願って。

 同じ班ではありませんが、てんぷらやおでんなどを作りすぎた時、ケーキを焼いた時、「よかったら食べて!」と差し入れをする独り住まいのお友達もいます。女性3人だけですが、「たまに一緒にランチしましょう」と呼びかけ、近くのレストランで食事をしています。目下はコロナで中断中ですが。

同じ班に住んでいても、めったの顔を合わせることもなく、井戸端会も全くなく、ちょっと挨拶する程度。みんな年齢も重ねました。次回の当番の時、私は果たして生きているのでしょうか?

 私、こんなの嫌!私って変ですか?お節介?でも私には民放クラブの仲間もいます。しあわせ!

上村十三子(MBS)

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