「とんとんとんからりと隣組」

Posted by on 2022年02月02日

「とんとんとんからりと隣組」      

とんとんとんからりと隣組
格子を開ければ 顔なじみ
廻して頂戴 回覧板
知らせられたり 知らせたり

とんとんとんからりと隣組
あれこれ面倒 味噌醤油
ご飯の炊き方 垣根越し
教えられたり 教えたり

とんとんとんからりと隣組
地震や雷 火事どろぼう
互いに役立つ 用心棒
助けられたり 助けたり

とんとんとんからりと隣組
何軒あろうと一所帯
こころは一つの屋根の月
纏められたり 纏めたり

 私たちの年代だったら当然この歌をご存じのことと思います。
プライバシー侵害だの個人主義だのの昨今ですが、私はこの歌が大好きで、少し長いのですが敢えて4番まで記載しました。

 作詞は何と岡本太郎氏の父上の岡本一平氏です。1940年にNHKラジオで放送されたのが始まりだそうです。明るいリズム(作曲・飯田信夫)も好評で、ドリフが替え唄を歌ったり、コマーシャルにも多く使用されました。

私の隣組は8軒です。8年に1回当番が回ってきます。仕事をしていたころは、義母が世話をしてくれていましたので、私は義母が亡くなってから、ようやく近所付き合いも始め、当番は今回で3回目。24年前に初めて当番役をしました。当番の仕事は、回覧板を回すことと、年に1回町内会費を集金することだけです。でもその僅か8軒すら私はほとんどお付き合いがありませんでした。

 そこでおせっかいな私は、一度顔合わせ会をやろうと考えたのです。「そんなことをしても嫌がって参加しない方もいらっしゃるよ」と言われつつ、近所の喫茶店を予約し日程を調整して招集しました。なんと全戸の方が出席、中にはご夫婦そろって参加されました。そこで初めて家族構成を連絡し合い、ゴミ出しで困っていること、近所のお医者さんなどの情報を交換しました。和気あいあいで、年に1回くらい集まりましょうよ、と。

 なのに、その後誰一人、会を開かないまま8年が経ち、また私に当番が回ってきました。私は再び会合を開きました。全戸が参加。8年経つとそれぞれ家族にも動きがあり、一人暮らしになった方や、ご主人を亡くされた方も。今度はもしものとき連絡がつくように携帯番号の交換をしました。幸いお互い携帯を使うこともなく経過、その後も一度の集まりも開かれず、また今年4月から私が当番に。もう私も集会は諦めました。

 でも、私は「隣組」の歌詞のように、ご近所仲良く楽しく暮らしたいです。お米を切らしちゃった。少しだけ貸して!とか。あれこれ考えた末、今度は無味乾燥の回覧板をただ黙ってポストに入れるだけでなく、一言メッセージを付け加えようと思っています。「コロナ感染気をつけましょうね」とか、「長居公園の梅が咲き始めましたよ」「セレッソ大阪(長居スタジアムがホーム)の試合を観に行きたいですね」とか・・・ここにほかの方も一言メッセージをつけてくれることを願って。

 同じ班ではありませんが、てんぷらやおでんなどを作りすぎた時、ケーキを焼いた時、「よかったら食べて!」と差し入れをする独り住まいのお友達もいます。女性3人だけですが、「たまに一緒にランチしましょう」と呼びかけ、近くのレストランで食事をしています。目下はコロナで中断中ですが。

同じ班に住んでいても、めったの顔を合わせることもなく、井戸端会も全くなく、ちょっと挨拶する程度。みんな年齢も重ねました。次回の当番の時、私は果たして生きているのでしょうか?

 私、こんなの嫌!私って変ですか?お節介?でも私には民放クラブの仲間もいます。しあわせ!

上村十三子(MBS)