漱石を読む会 ~漱石と雁木の町越後高田との拘りを探る~

Posted by on 2019年08月01日

『漱石の手紙』

~漱石と雁木の町越後高田との拘りを探る~

関西民放クラブ同好会≪漱石を読む会≫では、昨年の熊本・阿蘇に続き、この6月9日から1泊2日で課外授業として夏日漱石ゆかりの地巡りと、≪漱石を読む会≫の先生である恩田雅和氏(WBS)の講演を聴きに越後高田(新潟県上越市)への旅に出かけました。

高田は豪雪の町として有名ですが、軒を連ねる町家の道路側には雁木(がんぎ)と呼ばれる庇が連なって歩行者を深い雪から守っています。延長が16Kmにも及ぶという雁木は、城下町高田のシンボル的な景観を見せていますが、現地タクシー・ドライバーの話によると、近年では高田でも積雪量が昔に比べると少なくなって、「地球温暖化が皮肉なことに市民を豪雪から守っている」といいます。

えちごトキめき鉄道の高田駅に降り立つと、駅周辺では市街地改造で近代的な街並みになっていますが、駅舎をはじめ、駅前から延々と続く商店街には、モダンな雁木スタイルのアーケードが伝統的景観保持の姿を見せています。

さて、高田を訪れた我々を高田文化協会事務局長の河村一美さん (小川未明文学賞・優秀賞受賞者)が漱石ゆかりの場所や高田での見るべき名所を案内してくださいました。

漱石の主冶医だった森成医院跡。優美な木造洋館の旧陸軍第13師団長官舎。大逆事件の弁護人を務めた平出修旧居(国登録有形文化財)。高田を拠点に三味線や胡弓を手に各地を巡業した盲目の女旅芸人瞽女(ごぜ)の資料を展示した瞽女ミュージアム。現存する日本最古の現役映画館・高田世界館などを周りました。

そして「町屋交流館・高田小町」の多目的ホールにおいて高田文化協会主催、新潟日報・上越タイムス社・上越よみうり後援の『漱石の手紙』と題する我が≪漱石を読む会≫恩田氏の講演会は満席という状態でした。

講演内容は、漱石と高田の関係。明治44年、朝日新聞に連載された『漱石の手紙』の解説。漱石が高田へ講演に来た際、伊豆で療養中に修善寺まで出向いて漱石の治療にあたった医師の森成麟造宅に宿泊したこと。軍部批判をした信濃毎日の反骨記者だった桐生悠々や、新聞記者であり「淪落の女」などの実話読物作家でもあった松崎天民と交友関係にあったことなど、興味深い話の数々でした。

今回、我々高田訪問に合わせて関東民放クラブの樋浦孟新潟支部長が特急列車で片道2時閃かけて新潟市から駆けつけてくださり、高田で我々と行動をともにされました。

講演終了後は、駅前の大きな居酒屋で高田文化協会の藤林会憂(病院長)が我々を歓迎する挨拶をされ、高田文化協会の皆さんや新潟日報の佐藤氏・本間氏、民放クラブ新潟の樋浦氏らと会食歓談し、楽しい時間を過ごすことができました。

高田は.文化の薫り高い町であって、童話作家の小川未明、画家の小林古径や富岡惣一郎など多くの文化人を排出しています。

町の風情に魅せられて高田に住んだり逗留した名だたる人物の数も多く、松尾芭蕉や十返舎一九や樋口大學、そして蒋介石やスキーを日本に伝えたレルヒ少佐など、数えきれないそうです。

今回の旅行のような短い滞在時間では、ほんのごく僅かしか触れることができなかった高田の町ですが.もっと長く滞在して高田の魅力を堪能したかったと思います。

翌日は長野へ移動して、漱石が長野での講演で訪れた際に泊まった宿屋の犀北館(現在では長野で有数の高級ホテル)、桐生悠々が在籍した信濃毎日新聞社周辺など、漱石足跡をたどる散策をし、最後は善光寺に参拝して長野駅から帰途につきました。

今回の旅で大変お世話になった河村一美さんをはじめ、高田丈化協会の皆さんや新潟日報のみなさん、民放クラブ新潟の樋浦氏に厚くお礼申しあげる次第です。

佐藤康人(MBS)