【30周年記念講演】 西川きよし氏

西川きよしさん 講演           

平成30年4月13日
太閤園    

 みなさんこんにちは、西川きよしでございます。今日は、やすしさんとコンビを組んだ昭和41年の初舞台のような緊張感でいっぱいです。会場を見渡しますと見たことのある方ばかりで懐かしい気持ちです。今日まで育てていただきありがとうございます。

 僕は厚かましい性格といいますか、各局に勝手にお伺いして社内を案内していただいたり、今日お見えの社長さんがたともいろいろお話させていただいたりでご迷惑をかけました。会長の西村さんにはABC「プロポーズ大作戦」からのお付き合いで、今回のこともわざわざNHKにお越しいただきお話をいただきました。

 ある時石原プロの渡哲也さんから、渡さんがやっておられたNHKの番組にメインゲストで出てほしいという電話がありました。一度はお断りしたのですが、ご本人が30人ぐらいの軍団の方を引き連れて直接話にこられました。これは断れませんよね。ところがこれが「プロポーズ大作戦」の収録とかさなり、西村さんに日程の変更をお願いしました。今日はご迷惑をかけたお詫びの講演です。

 いちばんご迷惑をかけたのは、相方のやすしさんのことです。今生きていれば74歳になっていたのですが、こんな面白い人はいませんでした。先日亡くなった月亭可朝さんもそうですが、本当に芸人らしい人でした。

 MBS「モーレツ!!しごき教室」は12年やらしてもらいましたが、しばらく経ったとき、やすしさんが楽屋で「きー坊、相談があるんやけど、番組の司会を休ましてほしいんや。広島の宮島でアマチュアのボートレースがあるんや、頼むわ」と言いました。さすがに私も「あほちゃうか、ボートと漫才どっちが大事や」と怒りますと「ボートや」(笑)。あんまり言いますので、番組のほうはどうするのかと聞きますと「本番の15分前に楽屋に電話するから、交通渋滞に巻き込まれて間に合わないと言うてくれへんか?」。当日楽屋にやすしさんから電話があり「皆に聞こえるように大きな声で言うてや。渋滞に巻き込まれて本番に間に合わんと」。ディレクターやプロデューサーに怒られましたが、本人はすでに広島でどうにもなりません。結果的に他の芸人さんと一緒になんとか番組を収録しましたが、これには大オチがありました。なんとやすしさんがボートレースで優勝し、あくる日のスポーツ紙の一面に優勝カップを持った写真がのっていました(笑)。あとで吉本の社長以下であやまりに行きました。ABC「花の駐在さん」では、収録日の舞台稽古に来ないので、やすしさんの等身大の写真を持ってリハーサルをしたこともありました。

 しかしやすしさんには、生きる強さを教えてもらいました。裁判所にいって証言台に立った漫才師は僕だけではないでしょうか?(笑) 裁判官が「やすしさんは日頃どんな人ですか?」と聞きますので「非の打ちどころのないまじめな方です。」弁護士が「アルコールはどれくらい飲まれますか?」と聞きますと「少々です。」(笑) 実は少々残すだけなんですが、この嘘をつくのが大変でした。

 私は中学を卒業して修理工場で働きました。けがをしてやめてから、芸人になろうと石井均師匠のもとで修業し、新喜劇に出させてもらっていました。その頃にやすしさんに漫才コンビに誘われましたが、会社もやめとけと言うので20数回断り続けました。両親には、もう芸人をやめなさいと言われていましたが、ヘレンに相談したところ、それだけ熱心に誘ってくれるなら一回やってみたらどうと、背中をおしてくれました。昭和41年6月にコンビがスタートし、翌年には漫才新人賞をいただき、テレビにも出られるようになりました。自分の力で家を買うなんて夢のまた夢やったんですけど、みなさんのおかげです。

 私はこれといった趣味がないので、やすしさんから何かやったらどうやということで刑務所や老人ホームの慰問にいき、39歳のとき参議院に立候補しました。その節は各局の皆様に大変ご迷惑をおかけしました。この場をかりてお詫び申しあげます。おかげさまで3期18年頑張らせていただきました。

 私も72歳になりましたが、人生100年時代だそうです。皆様もお元気でご活躍されることをお祈りしています。

(YTV 岩渕輝義)

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