第28回 定例懇話会 「トランプ当選とプーチン訪日」

 

「トランプ当選とプーチン訪日」

北海道大学名誉教授 木村 汎

 12月15日のプーチン訪日を前にして、日ロ関係に大きな影響を及ぼす2つの出来事があった。アメリカ大統領にドナルド・トランプが当選したことと、ロシアのウリュカーエフ経済発展相が汚職の罪で逮捕されたことだ。まず、トランプ当選だが、プーチンはこれを小躍りして喜んだ。選挙期間中、ウクライナ問題に絡む西側諸国の経済制裁を解除すると発言するなどロシアびいきの発言を繰り返し、日本に対しても「自分の国は自分で守れ」と日米安保条約を軽視していたからだ。一方のヒラリー・クリントンは国務長官時代から終始、ロシアに厳しく、2011年12月から翌春にかけて起きた反プーチンデモでは背後でヒラリーが糸を引いていると疑っていた。だから、大統領選の結果は好きな人間が当選して、嫌いな人間が落ちたのだから、二重の喜びで、笑いが止まらないといったところだろう。

 

ロシアは疲弊している

 今、プーチンは苦境に直面している。ロシアは下り坂の国なのだ。強力な核兵器やミサイルを持ち、軍事力はアメリカに次ぐものだが、経済は疲弊している。科学技術は衰え、エネルギー資源を切り売りしてかろうじてしのいでいるといった体たらくである。その原油が最高値1バレル147ドルから、今日は47ドルまで下がり、エネルギー輸出に頼る国家財政は破たん寸前である。原油高で潤い、5000億ドルまで増えた外貨準備高も来年末には底をつくといわれている。ルーブルの対ドルレートは半分となり、経済制裁もボディーブローのように効いてきている。だから、日本の援助は喉から手が出るほど欲しくてたまらないのだが、トランプの当選でプーチンに余裕が出てきて、北方4島は返さなくても援助を引き出せると思い始めた様子もうかがわれる。

 もう一つ、ウリュカーエフ逮捕だが、プーチン訪日1か月前に対日交渉の窓口だった大臣を汚職で逮捕するとは、何を考えているのだろうと言わざるを得ない。プーチンをはじめ全国民が汚職しているような国家で、汚職で逮捕するとは笑止千万だ。日本をコケにしているとしか言いようがない。先方は「日本は脅せば怯む腰抜け国家だから、脅して意のままに操ろう」と思っているに違いない。「この大事な時期に、冗談じゃないよ」と毅然たる態度を取らなければならないのに、「早く後任が決まることを望む」(世耕経済産業相)とは何事だ。誇りはないのか、と問いたい

 

交渉学の観点から日ロ交渉を見てみると

 プーチン訪日(12月15、16日)の見どころを交渉学の観点から見てみたい。交渉学は日本では軽視されているが、アメリカでは「交渉学」という講座はどの大学でもあり、極めて重視されている。交渉には3段階があって、予備段階として交渉するか、しないかを決める「診断」、そしてテーブルで向き合う「定式」があって、最後に「詰め」があるわけだが、ここで大事なことは合意したことを共同声明など文章にすることであり、その内容の細部にこだわらねばならない。細部を軽視して国益を損なったケースは多いのだが、訪日の前哨戦はずいぶん前から始まっている。交渉に当たっては、「悪玉」と「善玉」の役割分担があり、まずベドジェーエフ首相のような悪玉役が出てきて強硬論を吐き、次いでプーチンが善玉役として登場して「まあ、まあ」と少しだけ譲歩して、自分たちの有利にまとめてしまう、というやり口があるから注意しなければならない。

 

粘れば粘るほど果実は大きい

 優先順位表の設定も大事だ。最も欲しい項目を獲得するために、優先順位の低い項目で譲歩するのがよい。今回、日本は領土、ロシアは援助が欲しい。欲しいものが違う方が交渉はしやすいはずだ。援助だけ取って帰ることは許してはならない。交渉は一見して日ロの2国間交渉のように見えるが、実は多国間交渉でもある。交渉のテーブルの背後にはそれを見ている国民がおり、それだけではなく世界が注視しているのだ。例えば、中国ならば尖閣諸島を、韓国ならば竹島を見据えて、日本に領土を守る意思がどれほどあるのかを見極めようとするだろう。領土問題について、日本人の覚悟のほどが問われているのだ。

 交渉に当たっては、「デッド・ライン(締め切り期限)」の設定は禁物である。安倍首相は「私の任期中に解決したい」と言っているが、相手に焦っているとみられるから、腹の中に収めているべき決意だ。交渉は粘れば粘るほど得られる果実は大きいことを知ってほしい。交渉の詰めにはベスト・タイミングがあるが、日ロ間ではいまだその機は熟していない。ロシアはシリアとウクライナ東南部で戦争するという無謀な2正面作戦を展開していて、毎日100万ドルの戦費を使い、原油安と相まって財政は破綻寸前だ。日本人はとかく早くけりを付けて、すっきりしたいと思う国民性だが、今回は相手の弱みをしっかり見つめ、粘り強くいきたいものだ。

(TVO 中川民雄)

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