【散策】第165回「宗教都市天理に“陽気くらし”の天理教本部と石上神宮を訪ねる」

 

 散策同好会は10月31日(月)、第165回例会「宗教都市天理に“陽気くらし”の天理教本部と石上神宮を訪ねる」を行いました。27人が参加しましたが、当日午前7時ごろに近鉄奈良線で車両故障事故が発生し、ダイヤが大幅に乱れた影響で、集合場所の天理駅前を出発したのは予定より約1時間遅れの11時。「ようこそおかえり」と書かれた看板の目立つ商店街を抜けて、歩くこと約15分、天理教本部神殿前の広場入口で、3人の法被を着た職員が待ち受けていて、案内が始まりました。

 まず訪れたのは、信仰の中心地である神殿。山の辺の道を歩いた際に、前を通った経験のある人は多いが、正面で靴を脱ぎ、その中に入るのは初めての参加者がほとんど。入ってみて初めてその建物の巨大さに驚かされる。大正時代から順次、整備されてきた神殿は、信仰の中心「ぢば」を囲んで、東西南北の礼拝場がぐるりと配置され、巨大な空間を構成している。東と西の礼拝場はそれぞれ1170畳、正面の南は546畳、逆サイドの北は271畳という広さ。広報担当者から説明を受けている間、広い空間の各所から信者さんの祈りの声が聞こえる。この信仰の場は24時間開放されており、毎月26日の月次祭の日は、境内が数万人の信者でごったがえすとか。

 多くの信者さんが白い布で廊下をからぶきしている姿を見ながら、広い回廊を歩いて、向かったのは教祖殿と祖霊殿。幕末に天理教を興した中山みき教祖の死去(明治20年)から、今年1月26日で130年。天理教誕生の歴史とその教えを静かにお聞きし、参拝して、昼食会場の食堂へ。一日、数千食を提供しているという広い食堂では、信者、職員、学生たちと一緒に、ごはんとおかず一皿の信者飯を頂いて、日頃の飽食を反省させられたメンバーも多かったに相違ない。もちろんアルコールはなし。

 その後、訪れたのは天理参考館。天理外国語学校(現、天理大学)が、教材室として昭和5年に開設した「海外事情参考品室」が前身。海外布教者養成のため、海外の生活文化を知る必要があるとして収集を始めた民族資料、考古美術資料、交通関連資料など約30万点を所蔵。アイヌや朝鮮半島、台湾などの珍しい文物を案内人の説明を聞きながら鑑賞し、ちょうど特別展「東北地方の玩具たち」が開かれていて、ずらりと並ぶこけしに懐かしそうに旅行の思い出を語り合う人も。

 天理教の聖地で普段体験できない見聞を広め、午後2時半すぎ、いったん解散して有志で向かったのは徒歩15分余りの石上神宮。「記紀」での神武天皇東征の神話に登場する神剣を祭神とし、豪族・物部氏が神庫に膨大な武器を保管したことで知られる。本殿前で、廃仏希釈で消えた名刹・内山永久寺の遺構の紹介を世話役・八木さんが行うと、会員の杉野さんがフォローして、明治維新時の興福寺五重塔の逸話を披露。動乱の世をめぐる人と歴史を話し合いながら帰途につき、秋の奈良・天理での例会は、印象深く、幕を閉じました。

             文責  田仲 和彦

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