「散策6月」西宮建築物~今津灯台、六角堂、甲子園会館へ

 

 五月の梅雨入りが嘘のように晴天に恵まれた六月三日、散策同好会五五名は阪神今津駅に集合。先ずは今津六角堂へ。

 明治一五年(一八八二年)今津小学校の校舎として建築された洋風の近代的建築。正面玄関の六角の塔屋が人目を惹く。一階には歴史展示コーナーがあり、太平洋戦争でも戦禍を免れ、平成十年現在の位置に移されたとの事。次に今津灯台へ。

 酒造家「大関」によって今津港に出入りする樽廻船や漁船の安全を願い文化七年(一八一〇年)に建てられた燈明台が起源。当時は油を燃料にしていたが、大正年間に電化、昭和四三年、航路標識として海上保安庁から正式に承認、今も現役で活躍中です。

 午後は甲子園会館(旧甲子園ホテル)へ。甲子園会館は建築家ライトの愛弟子遠藤新が設計し、昭和五年竣工した旧甲子園ホテルを昭和四〇年武庫川学院が譲り受け教育施設として再生したものです。
当時は「東の帝国ホテル、西の甲子園ホテル」と並び称され、皇族、政財界人、上級軍人などの社交場として賑わったそうです。

日本に残る数少ないライト式建築で、中央に玄関、フロント・メインロビー、左右に食堂と宴会場が張出し、淡路産の緑の瓦、日華石と素焼きのタイルの壁、ホールの光天井に市松格子の障子、打出の小槌のオーナメントなど、和の要素も取り入れられています。

昭和十一年には、日独合作映画に原節子主演のロケに使用、昭和十九年には海軍病院として収容、山本五十六元帥も来られたそうです。戦後、進駐軍の将校宿舎として接収。この時、横山ノックが食堂のボーイとして働いていたとか。現在、国登録有形文化財に登録されています。

近世から昭和のよき時代を想起させてくれた一日でした。(佐伯武夫)

TOP